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[コメント] ロックンロールミシン(2002/日)

ネクタイ締めてる僕らのボンクラ夢物語。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 普通に労働して暮らす人々が常に心のどこかに持ち続けている、クリエイティブな人々への憧れ。名刺には「デザイナー」の文字が踊り、ネクタイに縛られず、昼間から友人たちと騒ぎ、夜はオシャレなお店へ繰り出し、好きな物を作ることで収入を得る。彼らの交友関係は広く、そのみんながみんなとても自由に羽ばたいているように見えるのに、何故か自分はそこにはいない。昔はみんな同じ学校に通っていたのに、どこで違っちゃったんだろう。自分もどこかで何かを始めていれば、今頃はあの輪の中にいたんだろうか。

 でも同時に僕らは普通に労働しているからこそ、その自由に付きまとうリスクの大きさを知っています。現実の彼らはそんなに自由に楽しく暮らしているわけじゃない。きっと楽しそうに見えるのは一瞬の竜宮城であり、常に才能とのせめぎ合いを強いられ、夢と現実とのギャップに苦悩し、己の理想を変えていかざるを得ないシビアな世界なんだろう。僕らはそれを回避したからこそ今ここにいるんだ。どこかで間違えたのではなく、どこでも間違えなかったからここにいるんだ。でも、本当はちょっと間違えてみたかった。

 今作はそんな普通の人々の想いを賢司(加瀬亮)に乗せ、そのフィルタを通すことで僕らを無理なく憧れの生活へ連れて行ってくれます。才能ある凌一(池内博之)と友人であることで、普段では知り合うことのできないような人たちに無条件で受け入れられていく。そしてそこで賢司が感じる「自分が何かから解き放たれたような錯覚」は、同時に僕らが感じる喜びとなるんです。

 そう考えると、ストロボ・ラッシュの3人にはそれぞれ賢司に対する役割分担があるように見えてきます。凌一は上記の通り、賢司を異なる世界へ連れて行くための許可証。彼と友人であることの“免罪符”で、賢司は賢司のままでその世界の中に入ることを許されるわけです。

 カツオ(水橋研二)はそんな人々に対する“理解しがたさ”の象徴です。賢司にとってはカツオと友人になる必然はなく、恐らく共通の話題すらない。正直自分を歓迎しているのかどうかもよく判らない。それでもやっぱり同じ輪の中にいて、だんだんと無理矢理に距離が縮まっていく気マズい緊張感。「刺して抜いてってやらしいよね」のシーンには、そんな気マズさが巧みに描き出されています。ようやく親しくなってきたと思い、自分なりに更に一歩踏み込んでみたらスベる。あれって本当に気マズい。

 同様に椿(りょう)は“憧れ”の象徴です。イメージだけで言うなら、あぁいう生活の人々の周りには大体ビックリするような美人がいて、それが何とも言えない忸怩たる敗北感を感じるもとになってる。椿がいう「ネクタイに対する見下し」なんかは正にそんな「背広組の被害者意識」の逆描写であり、椿がそこを越えて自分を認めてくれるっていうのが、本当に憧れの世界に自分が入ったっていう確認になるんです。椿がクスリをやるのもアウトサイダー的なものに対する賢司の憧れの一つであり、その椿が他の二人と関係を結んでいないのも憧れに対しての都合の良さからだと読み取れます。

 賢司はそんな彼らと親しくなることで、まるで自分が自分でない誰かになったかのような錯覚を感じ、現実をなおざりにしていきます。その感覚は僕らにとってもまた嬉しく楽しいものであるのですが、残念ながら賢司にとっての現実はその間にもしっかりと時を進めている。そしてそこでストロボ・ラッシュの終焉を目にすることで、賢司は憧れの彼らにも自分同様の現実があることを再確認させられます。だからこそ賢司は、彼らが彼らの現実に生きるのと同じように、自分も自分の現実を生きる道に戻ることを選ぶんです。そこには彼女との別れや派手さに欠ける仕事しかありませんが、それが「自分の生きるべき楽しい現実」であると飲み込めるようになるんです。

 結局のところ、何度も一線を越えそうになりながら椿との関係には至らなかったというのも、賢司が己の現実に戻るための布石だったんでしょう。椿と関係を持つことは彼があちら側の住人となることを意味し、また最後に賢司だけが洋服を切らなかったことも、彼が最終的にはストロボ・ラッシュの半歩外にいたことを示しているわけです。

 そうやって考えると、今作は賢司(と賢司に気持ちを乗せる人々)にとってかなり都合のよいギリギリの線での夢物語となっています。ですがそれが何より楽しく嬉しく懐かしい感覚を抱かせてくれ、ボンヤリと気持ちのいい作品に仕上がっていました。

 ただ最後に二つばかり言わせていただきますと、椿の物作りに対する感覚を表すセリフはあまりにステレオタイプに過ぎ、ちょっと彼女の価値を安くしていたように思えます。形を作るとか枠からハミ出すとか、ちょっと判りやす過ぎ。また柘植役のSUGIZO、わざわざセリフ少なくしてもらってるのに動きがウルサい。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)tkcrows[*] ぽんしゅう[*]

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