[コメント] 敬愛なるベートーヴェン(2006/米=独)
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中盤にこの映画は一番の山場を迎える。10分以上にも及ぶ「交響曲第九番」初演を再現した場面…。これが見事! 思わず拍手をしたくなってしまうほどだ。
写譜氏・アンナが舞台上でオーケストラの隙間に座り、耳の聞こえないベートーヴェンの指揮をサポートするのは、正直言ってしまうと無理がある設定に思える。場所によっては客席からも見え、それが見えることで“あの女は誰だ”という噂になることが必至だから…。
しかし、この場面はその無理がある設定もそこまで意識させない力強さがあるのが、なんと言っても強みである。ベートーヴェンを演じたエド・ハリスが指揮をする姿は魂がこもっていて、ものすごい気迫を感じる。4楽章すべてを映画で演奏できるわけがない「第九」は要約されたものになるが、短縮版でも流れはとても良く、曲の中で感情が特にこもる場面もうまくセレクトしているので、ハイライトとして申し分がない。全楽章聴いた気持ちにさせてくれる。実際の初演時の劇場の様子なども、大掛かりな撮影で雰囲気を再現しているので、臨場感もなかなかのもの。
映画の中で、迫力ある映像と共に、「第九」を聴いた興奮を味あわせてくれる。これはすごく嬉しいことであり、すごく価値があることだろう!
だが、その「第九」シーン以外については特筆すべきほどのものではない。もちろん演奏シーンが素晴らしい出来なくらいなので、ベートーヴェンを扱ったフィクションとして、ベートーヴェン自身を好きであれば充分に楽しめることに間違いはない。上映時間もコンパクトな上、飽きさせない作りだ。
問題なのは、“ベートーヴェンを扱ったこと”以上の個性が出せていないことだろう。仮に主人公がベートーヴェンという有名作曲家ではなかった場合、このストーリーによって感動できるかと言えば、その答えはおそらくNO。ひとつの人間ドラマとしては、そこまで深みがある物語ではないのだ。
もし、ドラマに深みがあれば、中盤にある「第九」シーン以上に、クライマックスも印象に残っているはずなのである。厳しく言えば、「第九」シーン以後は“蛇足”になってしまっている。ドラマが弱いために、終盤に引きつけられなかったのだ。
原因は実在の人物を扱ったフィクションであるため、独自の物語を展開させることと、史実との辻褄合わせとで、視点がやや曖昧になってしまったことにあるのだろう。どこか、様子を見て、手堅く手堅く物語を展開させている感があった。それでは題材やコンセプトが面白くても、なかなか抜きん出た作品にまで辿り着くことはできない。その点が非常に残念な映画である。
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