コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] マルホランド・ドライブ(2001/米=仏)

物語は、絶望にあえぐ願望が紡ぎだした理想だったのであり、現実とは確かに断絶していた。だが、鍵穴一つで、繋がってもいた。…そう、繋がっていさえすればいい。物語は現実でなくとも…
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 真夜中の劇場、倒れた歌い手を置き去りにしてなお響き続ける歌。とてつもなくエモーショナルなのに、どこからどう見ても泣き女の歌である筈なのに、実際は録音であることの矛盾。それが、何故だか、無性に哀しい。エモーショナルなのに録音…矛盾、いや違う、“断絶”。歌い手と歌の断絶。歌はベティという物語=ダイアンが思い描いた物語を象徴していた。ならば、歌と歌い手の断絶は、物語とそれを織りなす者との断絶、つまりダイアン自身と彼女が想い描いたベティという物語の間の断絶。突き詰めれば、今、こうして手を取り合っているはずの、愛し合っているはずの、恋人リタとの断絶。そして、現実におけるカミーラとの断絶。哀しい終幕の予感。夢が夢であると徐々に自覚できてしまう夢の終焉。気がつけば、恋人の死というパンドラの箱を握り締めていたのは自分だった。そして、夢が覚めれば、自分の物語は現実ではなくなる。だが、その夢は、確かに現実と繋がっていた。鍵穴一つで繋がっていたはずなのだ。ならば、そのままでいい。鍵と箱と鍵穴があるなら、現実は現実であればいい。そして、夢も、妄想も、物語も、それらのままで、充分に愛おしい。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)ロボトミー[*] みくり Linus[*] m[*] movableinferno[*] スパルタのキツネ[*] tredair[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。