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[コメント] アフリカの女王(1951/英=米)

蒸気船の、カッカッカッカッ...と、力強いような、心許ないような音を絶えず鳴り響かせるエンジン音が、物語の通奏低音となる。メロドラマである事と冒険活劇である事とが完全に一致した秀作。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ローズ(キャサリン・ヘプバーン)は最初の内は、会話の際にも一々最後に「ミスター・オルナット」と付け加え、礼儀作法によって距離を置こうとするが、いつの間にか「Dear」と呼び、遂には「チャーリー」とファーストネームを愛称で呼ぶように。二人は凸凹コンビと呼ぶべき対照的な性格に描かれているが、ローズは陰険さや高飛車な感じを与えない程度に堅物で、チャールズ(ハンフリー・ボガート)は、下品にならない程度に粗野でぶっきら棒。この絶妙なバランス感覚によって、ストレス無く、しかも飽きずに観られるエンターテインメントになり得ている。

バランス感覚という点では、恋仲になった二人が、それまでと一変して、互いに相手を「君は素晴らしい」といった調子で褒め合う甘ったるいムードに観客が呆れかけた辺りで、蚊の集団や蛭の群れといった、気色悪い自然の脅威がツッコミを入れる。密なキスを交わす二人が大量の蚊に襲われて死にそうな形相をする姿には、ローズが、ドイツ軍が撃ってきた銃弾の飛ぶ音を「蚊の羽音のよう」と呼んで侮っていた言葉が皮肉に思い出される。また、どんな事態も野性的な対応力で何とかしそうなチャールズが、「蛭だけは苦手だ」と弱った顔をする事で、彼の人物造形という点でもバランスがとられている。

二人は、大自然へ冒険に出ているように見えて実は、狭い船の中だけが、彼らの世界なのだ。船の移動によって、周囲の世界は流れ去る。船内では、トイレも寝室も台所も読書室も全て、距離と言えるほどの距離も無い状態で密接している。この作品は何の映画か、と訊かれたら、同棲映画だと答えるのが正しいような気もしてくる。

中盤での、葦原の中で身動きがとれなくなった二人が死を覚悟する場面では、カメラが空へと「昇天」してしまい、このままエンドロールが出てきかねない、と錯覚しそうになる。これに続いて映し出される、恵みの雨に打たれる動物たちや、豊かに流れる河。主役二人の不在の内に進行していく出来事。しばらくして、船の上で二人が起き上がる事で、再びドラマは中心軸、統覚を取り戻す。まさに「復活劇」であり、素晴らしい演出だ。

船上の二人を中心にして世界が回るこの映画では、波や雨や嵐も全て、彼らのメロドラマ上の試練として与えられるもの。ローズの兄が取って付けたような死に方をするのも、彼女にチャールズとの旅の目的を与える為に過ぎない。遂に目標のドイツ軍戦艦を見つけた二人が、魚雷を搭載していざ突撃、という所で嵐と大波に襲われてドイツ軍に捕まるのも、「アフリカの女王」号という閉鎖空間から引きずり出された上、絞首刑を前にしても、なお愛を貫けるか、という試験にかける為に他ならない。その試験に合格した二人には、もはや船など必要ない。だからこそ最後には、戦艦も蒸気船も魚雷で吹っ飛び、二人きりで海に放り出されるのだ。まさにハッピーエンド。この後、ちゃんと陸に泳ぎ着けるのかどうか知らないが。

この映画の舞台であるアフリカの地域は、ドイツ領という設定。原住民たちがドイツ軍に村を焼かれて連れ去られる所から物語は展開していくのだが、宣教師としてやってきたローズの兄にしても、死の床で呻きながら言っていたように、本当はアフリカになど来たくなかったのだ。こうした植民地主義的な一面を持つ点については、この映画の制作秘話を基にした映画『ホワイトハンター ブラックハート』が、実に巧みに描いている。

映画史的には順序が逆だけど、この映画を観ながら『崖の上のポニョ』のワン・シーンを連想した。メロドラマとしての冒険活劇。その甘みを抜いてしまえば、『地獄の黙示録』?

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] ジェリー[*]

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