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[コメント] さがす(2022/日)

そもそもこれは「さがす」話だったのか、「さがす」に決着をつけられたのか、という疑問。楽しめる要素は多々ありながらも、ピースがちゃんと填まり切れていないチグハグさがある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







初っ端からいきなり娘が全力疾走、万引きオヤジを平謝りして回収し、彼が失踪してからも、オヤジの名を騙って働いていた猟奇男を追ってチャリで全力疾走、奪ったズボンから出てきた券を頼りに訪れた島でサイレン聞きつけお父ちゃんを案じて全力疾走、と、小さい身一つで世界と格闘する娘のフルパワー。それを捉えるカメラも、娘の身から発するエネルギーに感応したようにパワフル。島で、彼女に惚れる少年が愚痴るくらいの早足で、何のあてもないのにノシノシ歩く彼女を追うカメラは、極端に低い位置から仰角で捉え、重い世界を負って一心に進む娘のエネルギーを感じさせる。

大人が頼りにならない寄る辺なさ。それに潰されることなくお父ちゃんを探す娘。この娘と少年が、徐々に社会の闇の奥へと突き進んでいく、大人のジュブナイルとも呼ぶべき展開を期待していたのだが、意外にアッサリお父ちゃんと遭遇。娘がサツを押しのけて、一軒の家で見つけた倒れた人物、「お父ちゃんッ!」と叫ぶが実際それはお父ちゃんなの?という疑問が宙ぶらりんのまま、延々と猟奇男の回想パート、そのあとにはお父ちゃんの回想パートが延々。「さがす」話じゃなかったのか?看板に偽りありだ。

いや、確かに、回想パートにも見所はある。猟奇男が島で出会うミカン農家の爺さんが、腹空かせた男にニコニコとミカンをやる好々爺かと思いきや、男を招き入れた自宅で襖を開けて、自らの欲望の闇を開いて見せる、唐突な、それでいてリアルな生々しさ。オヤジと、自殺志願の女「ムクドリ」の凸凹主従コンビ、ホテルの環境にブーたれていた彼女が突如いなくなってオヤジが街中を必死に「さがす」、そこへ彼女の乗った車椅子の倒れる音が響いて彼女を見つけ、多目的トイレで身支度させながら何だか涙が出ちゃって二人の関係性に生暖かいような綾が生じるなど。が、娘パートのダイナミックな画面と比べてあまりにも大人しくなりすぎで、さっきまで楽しませてもらっていたあのアクション映画はどこへ行ったのかと。

ついでに言うと、回想パートの冒頭で画面いっぱいにデカデカと「3ヶ月前」などと表示させるあのセンスはどうなんだ。徒に奇を衒っていて気に入らない。カメラを左右に素早く振るカットも多いが、緊迫感の醸成に寄与しているとも思えず、単に落ち着かない雑なカットにしかなっていない。劇伴は安っぽいし、猟奇男が殺害に先立って流すクラシック曲も、高尚さを気取るようにレコードでかけることも含めて、いかにもな俗臭が漂う。こういう映画のこういうシーンでこういう犯人がすかして流していそうなクラシックという通俗性。他人を見下し、自分はもっと高等な人間だと自認している性格を表すのには都合のいいアイテムだが、過去のいろんな映画でやっていたのを覚えていて安易に流用しているようにしか見えず、醒める。

そのように、所々で、こういうことをやったら映画っぽいんじゃないか?気の利いた演出っぽいんじゃないか?という思いつきを安直にやってしまっている感じがある。どこか学生的な青臭さというか、頭で拵えた感じというか。

その最たるものがピンポン玉。娘の母が、難病の苦ゆえに死を望み、猟奇男に絞殺されるシーンでは、見ていたくない夫がその場を離れると、男が彼女に残忍な笑みを浮かべ、その表情によって彼女から奪われた安らぎのように手から零れ落ちるピンポン玉。事が終わった際に、彼女の命のように床に落ちるピンポン玉を猟奇男が容赦なく踏み潰す。いや、そこまではまだいいんだが、ラストシーンでの父娘の長い打ち合いは、この尺でワンカットでやるのが映画的でしょうと言わんばかりで、ちょっとね。父娘が球と共に交わす会話は、ピンポン玉に、家族としての絆というメタファーを込めようという意図が見えすぎる。延々と打ち合いを見せてピンポン玉にメタファー性を充填し、また会話の中で、娘が父の正体に気づき、警察に通報したのだと明かしたのちの、球のない状態でラケットだけを振るエアピンポン。二人の間で交わしあうものは失われたのかどうなのかと、観る者に問いかけているのか何なのか知らんが、ちと作為的すぎて厭らしい。

オヤジが、娘に騙されたことに気づくのは、打ち合いの最中にパトカーのサイレンが聞こえ、娘が「迎えに来たで」と言い放ったのがきっかけなのだが、今から犯人捕まえようというときに鳴らすか? 捕まえに行きますよと犯人に知らせているだけじゃないか。娘が、父の正体を知っていると告げ、「やっと見つけた」と言う台詞は、回想パートの挿入によって逸脱したと思われた「さがす」という作品タイトルを回収しているつもりなんだろうが、娘が父の事情をどこまで知りえたのか、かなり曖昧なままにこんな台詞を吐かれてもな。いかにも、キレイに回収するために頭で拵えた台詞。

冒頭シークェンスでオヤジが、クチャクチャと口を鳴らす彼を嫌がる娘に向けて口をチュパチュパさせて笑わせ、「勝ちや」「何の勝負やねん」と交わしていたやりとりが、台詞を入れ替えて反復されるのも、いかにもキレイに型にハメた感じで、好きになれない。平穏な親子として、ピンポン玉のように言葉を交わすことが既に叶わなくなっている悲劇を、泣き笑いで表現してみたということなんだろうけど。

また、オヤジの計画にしても、猟奇男を罠にハメて殺した現場で、ムクドリから男が受け取った札束入り封筒を懐に収めていたが、こんなの、男に刺されたと偽装して自らを刺し救急車に通報し、治療に際して服を脱がされた際に、警察に調べられるのが普通じゃないのか? 退院してから掘り返していたが、いつ埋めたんだよ。また、誰かが来たと偽ってわざと猟奇男に持たせた包丁を、手袋して持ち自分を刺していたが、その手袋はどこへ置いたのか。懐に収めたのならそれも調べられるだろうし、その辺に放置もできないだろうに。表面には自らの血の跡、内側には手の跡で、怪しまれるには充分。

さて、この映画、「さがす」話としてはどうだったのだろう。結局、家族の絆という象徴性を持たされたピンポン玉の喪失によって、絆を探そうとしていたオヤジも娘も、それを失ったという話だったのか。オヤジがカネを欲したのも、思い出のある卓球場の維持のため、娘の将来のためで、猟奇男と関係ができたのも、苦しみから救われるために死を望んだ妻のためだったのだが、却ってそれがアダとなった。そうした構図は分かりやすいが、娘はオヤジを「さがす」中でオヤジのことをどこまで理解できたというのか。自ら人を殺めるような道に進んでほしくなかったから、あえて依頼人を装って彼を試したということまではまぁ、彼女の立場としては分かるんだが、母親の苦悩、それを傍で見守り続けてきた父の苦悩を、娘はどう見ていたのかが全然描かれていないので、その点に関しては部外者の立場からオヤジを裁いているように見えてしまう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] おーい粗茶[*]

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