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[コメント] 地下鉄のザジ(1960/仏)

繰り広げられるアクションの激しさのみならず、物、時間、情況、アイデンティティ、秩序、云々が素早く交替し合う激しさが巻き起こす、観念のスラップスティック・コメディ。ポップでキッチュ。パリの色彩と、エッフェル塔の幾何学的な美しさ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ザジが乗りたかった地下鉄はストの最中。結局ザジは、列車に乗ってやって来て、列車に乗って去っていく。地下鉄の代わりに地上のパリを縦横無尽に駆け巡ったザジが最後に一言述べた感想は「年をとったわ」。この映画は、自在な編集による時間の経過の仕方こそが全て。ギャグ映画の古典技法であるクイックモーションや、ジャンプ・カットを頻繁に繰り出して、場所と物と人を目まぐるしく交換する。ザジが靴を頭上に放り投げると足にそれを履いている、とか、ガブリエル叔父さんがエッフェル塔から落とした眼鏡が顔にハマった婦人が、上下逆さに見ていた雑誌をひっくり返す、といった、物事を逆転させる場面の数々。

ガブリエル叔父さんのアパートの主人は、叔父さんにザジの躾けの悪さを批難して、叔父さんにも彼女の口調が感染っているなどと言うが、その彼自身がザジのように「ケツくらえ」と口にする。またオウムが繰り返す「喋るしか能が無いのか」は、オウム自身が人間に言われた言葉なのだろう。ザジを追いかけた先に自分の鏡像に出遭って驚くオジサン。鏡に何重にも映るザジ。よく似たマネキンの中に紛れるザジ。この映画のドタバタは、単にアクションの派手さや、特異な編集にあるのではなく、自己同一性の混乱にもある。

ポップなドタバタ劇でありながら、撮影されたパリの街並みは飽く迄も美しい。特に、エッフェル塔の幾何学的な造形美と、その高さが眼前に開く空間の広がりの鮮烈さ。ザジとタクシー運転手の青年が螺旋階段を下りているだけの映像が、あんなにも美しい。生活感ある白昼のパリを、ザジと大人たちの追いかけっこと共に味わった後、後半、夜のパリではまず、警官にキスしまくるご婦人の紫のドレスが、ダークブルーに沈んだ街の色合いと何と合うことか、と目の覚める思い。更には、道路に密集する自動車の車体に輝くネオンの煌びやかさ。ネオンが彩る街を往き来する人、人、人をリズミカルなカット割りで魅せるシーンはこの映画の白眉。

ザジの美しい叔母さんアルベルチーヌ(カルラ・マルリエ)の、マネキンのように硬質な表情は、この騒々しいスラップスティックの中で際立って見え、彼女が終盤に見せる笑顔がまた印象的。衣装を用意する彼女の顔が青い光に照らされるショットの冷たい美しさ。

ザジの、子供らしい無垢で乱暴な笑顔が最も印象に残る映画だが、それ以外に僕が気に入ったのは、先述した夜景シーンの他、着ぐるみの白クマが松明でジャグリングしている、危険なシーン。ザジがピアノを弾き、白クマが炎を操る中、空色のカーテンが降りてくるショットはシュールな美しさ。ピアノの上になぜかウサギが乗っているのも好きだ。

ところで、映画に於いて交通渋滞というシチュエーションは、互いに見知らぬ人々が、渋滞という一つの状況に放り込まれて騒乱を起こしつつ、それぞれの車内は個別のシチュエーションともなり、しかもそれは窓ガラスによって外部に開かれたものでもある、という、映画的になかなか美味しい素材。その料理法は様々だが、この映画の場合は車がわらわらと走るさまをコミカルに演出してみたり、ご婦人が席を外している間にどこかに流されてしまう車を探し出したり、天井の開いたバスの上からクレーンに乗った男が物をとったり、他人の車に乗り込んだり、といった、移動、介入、交替、という、まさにこの映画の編集方針そのものとも思えるギャグが繰り広げられる。

何年か前にこの映画を観た時には途中で睡魔に襲われて全く集中できず、名が知られている割には見るべき所の無い作品だと感じたものだが、このあいだ久々に観たら、良いな、これ。今まで2点を付けていたけど、一気に4点に昇格させた。映画の観方ってやっぱり変わっていくものなんだな。僕も知らぬ間に「年をとった」わけだ。

(評価:★4)

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