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[コメント] 泥の河(1981/日)

顔の恐怖。船の恐怖。それとは関係無いが、スイカをくれたオッサンの「少し割れてるのがうまいんだよ・・・」というセリフは、最低最悪でありながらもオヤジ精神全快の素晴らしい下ネタだと思う。
パグのしっぽ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、顔が怖い。

手品をする田村高廣の一連の動きを、真正面の低めのアングルから画面いっぱいに撮ったシーンがある。暗い背景の中で田村の笑顔と手の動きだけが強調される。笑顔で親しみを見せながら、騙す。手品師と観客の関係が、そのまま大人と子供の関係に重なる。

重く沈んだ映像が続く中で、突如現れる加賀まりこの生活感のない顔、姿も非常に怖い。暗い風景の中、扉を一枚開けると現れる過剰な華やかさ。性風俗では喜ばれる演出だが、子供の目にはこの世のものとして映らない。

そして、喜一の笑顔もまた、怖い。夜のボロ船、部屋の床を這う無数の蟹、無為に焼き殺される蟹、そして男に抱かれる友人の母。悪夢の末に信雄が目にしたのが、喜一の笑顔だった。笑顔は相手の意図が分かれば心地良いが、意図の分からない笑顔は嫌悪感と恐怖しか感じさせない。

これらの顔の印象が強烈な一方、顔が見えないまま船の壁越しに聞こえる母親の声も怖い。どうして母親は姿を見せないのか。泥の河に浮かぶボロ船の中から、どうして美しい声が聞こえてくるのか。不安を掻き立てる。

顔の存在・不在に恐怖を感じる。これが本作の第一の印象だ。

そしてまた、船も怖い。次の3つ船が特に怖い。

・信雄がサイダーを投げ捨てた後に画面の右から左へ流れていく巨大な船。

・板倉家の晩餐後の橋の上、子供3人の後ろを下から上へ流れていく船。

・曳航される喜一の船。

天神祭の船が漕ぎ手の統一された動きに躍動感を感じさせるのとは対照的に、これらの船は機関の動きを見せず音もなく、しかし自由に水面を移動する。スクリーンの範囲しか視界を持たない観客にとっては、非常に巨大な「何か」が、スクリーン上に現われてただ去っていった、そんな印象を受ける。冒頭語られる「化け物鯉」のエピソードによってこの印象が刷り込まれているのかもしれない。

貧困、漂流生活、売春という扱いようによっては差別の格好の標的となるテーマを題材にする一方、演出上もあの手この手を使って観客の不安を掻き立てる。この暗く淀んだ舞台の上だからこそ、子供たちの友情が際立って澄んで見えるのかもしれない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)たろ[*] Orpheus ぽんしゅう[*] 緑雨[*] けにろん[*]

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