[コメント] ザ・ファイター(2010/米)
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さて、その複雑さは一方的に「悪」と決めつけられるような性質のものではないにせよ、やはりマーク・ウォールバーグの障碍ではある。お嬢さんイメージを脱却してまなざしに強い意志を込めたエイミー・アダムスがそこに風穴を開けてみせるが、彼女自身もいつしかその血縁の泥沼に絡め取られてしまう。それを解決するものとは何か。ウォールバーグとの離別を宣言したアダムスのもとへクリスチャン・ベイルが訪問することであったり、より端的かつ決定的にはウォールバーグのタイトルマッチ勝利がそうだと、とりあえずは云えるだろう。そこには、たったそれだけのことで家族関係の魔が祓われてしまうことの清々しさがある。しかし、その「清々しさ」には「嘘臭い」という形容詞を前置するべきだろう。ただし、ここで「嘘臭い」は「映画らしい」と同義である。どうしてそのようなことが云えるのかについては、たとえばアダムス宅の前に広がるストリートの情景を思い浮かべればよい。繰り広げられるのは陳腐なメロドラマかもしれない。嘘臭い出来事かもしれない。それを「映画らしい」と肯定させてしまうのはカメラが切り取った風景の情感にほかならない。これは「ストリート」の映画である――などと云い切ることはしないまでも、全篇における最良のシーンはやはりオープニング・タイトルバックのストリート風景ではなかったか。
ベイルは相変わらず苦手な俳優だけれども、その演技技術の高さについては異論を持たない。実際の長幼を逆転させてベイルが兄、ウォールバーグが弟を演じることが、彼らのみならず作品にとっても利害の一致点であっただろうこともまた否定しない。
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