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[コメント] イル・ポスティーノ(1995/仏=伊)

フランコ・ディ・ジャコモの撮影は悪くないし、物語に対して誠実なラドフォードの演出も好感が持てる。だが、ここではその誠実さが映画の面白さの敵となっている。
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**ネタバレ注意**
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「言葉の人」の物語をこの映画は語る。詩人フィリップ・ノワレはもちろん、マッシモ・トロイージもノワレに導かれ「言葉の人」になってゆく。あるいはトロイージは書き言葉をほとんど持っていなかったがゆえに、初登場時のほうが純粋に「言葉の人」だった、と云うべきかもしれないが、いずれにせよラドフォードはこの二人の「言葉の人」の物語を誠実に語り、それはそれなりに感動的でもある。

物語としてはそれでよい。しかしながら、「言葉の人」の映画を撮るということがどれほど困難なことかラドフォードは理解していないようである。ほんの少しでも映画史を振り返ってみれば明らかなことだが、「映画」とは万言の言葉よりも一発のアクションのほうが力を持つメディアなのだ。この『イル・ポスティーノ』という「言葉の人」の映画は、しかしそれを踏まえた上でのチャレンジとして撮られたのではなく、ただそれに対する無自覚の上に成り立っているに過ぎない。言葉に関する問答なんかを撮るよりも(トロイージは郵便配達人なのだから、その設定を利用して)自転車を使った名場面をひとつこしらえたほうが映画は遥かに面白くなるのだ。また、アクション意識の低い演出だから、トロイージとマリア・グラッツィア・クチノッタのキスやトロイージとノワレの別れの抱擁といった映画に楔を打つべきアクションが漫然と流れてしまう。

だが、すべてが悪いわけではもちろんない。もしノワレがトロイージの遺したテープを聴くという終盤のシーンが感動的であったとすれば、それは「トロイージ死んじゃって可哀想……」だからでもなければ、トロイージの言葉の内容が心を打つからでもなく、「テープに言葉を吹き込む」というトロイージの行為がアクションとしてそこに定着しているからだろう。しかもそれは「テープ」のおかげで時間を超越して再生される(現前化する)アクションであり、しかしもはや永久に失われてしまったアクションなのだ。

(評価:★3)

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