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[コメント] 竜馬暗殺(1974/日)

無血革命の竜馬。武力倒幕の中岡。何者にもなれない殺人者右太。違いはどうあれ、彼らは変装し、隠れ続ける。「ええじゃないか」の嘲りに巻かれ、どう頑張っても足掻いても彼らは社会的に透明人間として在ることしかできない。暖簾に腕押しの青春。しかも暖簾の先は血の海なのだ。「河原の化粧三人組」。行儀良く並んで座る背中のわびしさと居心地の悪さ。この滑稽と不条理に尽きる。哀切かつ凄絶なブラックコメディ。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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気がつけば時代遅れとなった三人の、三つ巴の斬り合い。あまりにも矮小で哀しい。「俺は真面目にやってたのになんでこうなっちゃったのよ・・・」とでも言いたげな情けなさと苛立ちが漂う。

どの叫びも「ええじゃないか踊り」のデカダンにいとも容易く蹂躙されてしまう。無為な内輪もめと時代の不条理への詠嘆の果て、短銃も革靴も葡萄酒も思想も軽薄な「ファッション」に成り下がり、時代の道化に仕立てられた男達の無為な戯れ合いに70年代的な改革の断末魔と政治的真空の空虚がにじむ。そしてこの虚脱感は20世紀末というステップを経ても、さほど変わっていないことに気づかされる虚しさ。

終盤、「長崎に発つ」と告げる竜馬に対し、中岡が「俺も連れてってくれよ・・・」と語りかける。その視線の先にあるのは理想がかなえられる闘争の場ではない。「俺も、もう降りてえよ」と私には聞こえたのである。

どろりとしたモノクロの画面が化粧の白々しさや鬱屈を効果的に浮き彫りにする。総じてハイレベルな名作。特に笑いのレベルの高さを推したい。音楽は効果的だが、やや過剰か。史実に即しているか否か云々は、本作においては重要なことではないだろう。

余談だが、土蔵に籠もる竜馬は「持ち上げられちゃった夢見がちな流行好きの素朴なエロ青年」に見える。これは、一介の画家であり、自ら核となり政治を動かし、当初は自覚的だが、あれよあれよという間に予期しない場所に連れ去られ、壕の中で時代に包囲されて立ちすくむ「一人の老人」としてヒトラーを描いた『ヒトラー最後の12日間』に像が被る。二人を同位置に見るのは極論だとは思うし、一人の犠牲者として彼らを見ることによって免罪するとかそういったお話にするべきでないことは当然で、もちろんそんなことはしないけれども、「時代が人を作り人を殺す偉大さと恐ろしさ」というものに思いを馳せるという意味では、私の中では同位置にある。向かうベクトルが違ったというだけで。あまり意味のないことかも知れないが土蔵と壕への引きこもりも共通項だし、この状況下で倒幕後構想を語る竜馬も第三帝国思想を語るヒトラーも最終的には自らの理想を信じられないところに追い込まれる様には似たにおいを嗅ぎ取ってしまう。夢語りを熱く語ったかと思えばのらりくらりと酒ではぐらかす竜馬の立ち居に、その寂しさを強く感じる。

終盤、「最終的には女が抱けりゃいいんだ」とでも言いたげに竜馬が吐き捨てる台詞があるが、これは破れた理想への執着を覆い隠すためというよりも、実は偽らざる本音だったのだろう。小さく、生々しい。しかし私は何かと神格化・アイドル化される竜馬よりも、この小さな竜馬を一種の愛着をもって見るのです。

さらに余談ですが、「青年」って言葉。書くだけで気恥ずかしいですね。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*] 水那岐[*]

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