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[コメント] 希望の国(2012/日=英=香港)

あの時のリアルを真空パックし、日常に戻ったつもりの観客を当時に連れ戻す力を持っている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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登場するのはテレビのサイズに収まりきらない不良たち。立退き拒否者に放射能過敏症、進入禁止区域への突入者、及び彼らを嘲笑し口汚く罵る人々である(本当の主役は町役場のふたりかも知れない)。例えば電力会社の社長に土下座を強要する不良は出てこない。その類の既にテレビで報道された人たち、悪役を蹴飛ばす白黒明白な事象への態度表明は丁寧に排除されている。

取り上げられるのは科学的に不明な事柄、具体的には放射線の危険性の規模である。3.11から我々が学んだことのひとつは、放射線による健康被害の因果関係は短期的には判っているが長期的には判っていない、なぜならそのような実験がなされたことがないからだ、というものだった(判っているのは広島長崎やチェルノブイリ等の追跡調査がなされた範囲にとどまる。人体実験をする訳にはいかないから)。若い二組のカップルが受ける受難はもっぱらこの点に関わっている。

最後に神楽坂恵が連呼する愛は絶望であり、『希望の国』なるタイトルが現れると同時にエンドロールへ至るのはイロニーである。『愛と希望の街』がそうであるように。空間的に遠くへ逃げたから救われるだろうという神楽坂の安堵は、時間的に2時間10分絶望に付き合ったからそろそろ救われるだろうという観客の生理(及び何度か繰り返される、明るくなりましょう日本というテレビ番組)とパラレルなところがある。ところが神楽坂も観客も救われない。希望の国は始まらない。始められる訳がないのだ、そんな確証は科学的に何もないのだから。園は冷徹にそう指摘している。原因は計り知れない。キルケゴールが召喚される。実存は絶望しなくてはならないと。

園はさらに、被災者である前に一人の人間である夏八木勲に寄り添う。この親父の立退き拒否に係る理屈はほとんど意味をなしていない。病気の妻に悪いとか、先祖の樹木とかいろいろ説明するが、我々には偏屈な爺の場当たり的な言い訳にしか聞こえず、我々は最後の拳銃の件でやはり出鱈目に過ぎなかったのかと確認することになる。重要なのは、原発事故は彼にそのトリガーを提供したかも知れないが決して結末の原因ではないということだ。死の衝動と云えば簡単に過ぎる彼の内面は覗き見ることなど叶わない、ただ計り知れぬ園的な人物という他ない。

本作が素晴らしいのは、この園的人物に認知症の妻を寄り添わせたことで、夏八木は相対化され、奪われた足場をさらに奪われて立ち竦む。家から追われる夏八木に「お家へ帰ろう」とは何なのか。神話で神々が人間にかけるようなパラドックスで、意味という意味は砕け散り、雪降る港で盆踊りを踊る大谷直子の美しさだけが残る。本作でただひとつ確かなのは、このときの彼女の幸福である。

本作の製作過程を取り上げたN特を観た。園は取材に協力してくれた(畑の真ん中に境界線を引かれた)被災者たちに作品を観せ、このような「希望」のない結末を選んだことを詫び、しかしこれが映画の仕事なのだと述べた。災害ユートピアとしか云いようのないあの頃、誰もが優しさにすがり、異論に及び腰になり、日本的な集団主義からしか発言できなかったときに、抽象ではなく実存を、希望でなく絶望を語り、園的人物の彫琢を続けた彼の姿勢は素晴らしい。戦時中にも木下的人物を撮り続けることによって、戦争をよく記録した木下惠介が想起される。このような形で3.11が記録されたのは映画にとって幸運というべきだと思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Myrath けにろん[*] DSCH[*]

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