[コメント] 皇帝のいない八月(1978/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
○ 極秘文書が車の天井に隠してあるなんぞ実に阿呆らしい(だいたい、クーデターの企画書なんてつくるのだろうか)が、これを発見する三國連太郎の俊敏な老兵振りが見事なため、そっちに気を取られてどうでもよくなる。
○ 本来端役のはずの太地喜和子が何でクローズアップされて森田健作との同衾まで披露したうえで何で死んでしまうのか、さっぱり判らないし、その尺を使って描くべきことが他に幾らでもあったはずだと思うのだが、彼女がクラブのカウンターでほろりと零す涙になかば強引に共感させられてしまい、主役級の座を認めてしまう。
○ 渡瀬恒彦の演説は殆どミシマ語録のパクリであり(「貴様ら聴けえ」)、政府与党内にこれを好んだ者などいないし(あのナカソネだって批判したのだ。建前かも知れんが)、まして超現実派の目白の親分とは筋違いもいい処だが、佐分利信の角栄模写が凄すぎて、こっちが本当に違いないと確信してしまう。
○ 強姦魔に惚れて男ふたりを手玉に取る吉永小百合は冷静に考えればとてもひどい女だが、渡瀬説得の件に至って、こんな至上の愛を語れるのはサユリ様だけだよね(皮肉ではありません)ということで応援してしまう。
○ そもそもクーデターとは初動においては政治機関や報道機関の中枢の占拠を狙うものだろうに、何をのんびり夜行に乗っているのか凡人の理解を超えているが、ファナティックな渡瀬の迫力が有無を云わせない。同士の面々は、殺されそうで怖いからついて行っただけなのではないだろうか(ただ、夜行が停まる深夜の駅の数珠つなぎはどれも侘しく、求心力がある。近代日本の原風景のひとつであり、ここに革命の亡霊(山崎努)がいるという異様な描写は心に残る)。
○ 岡田嘉子と渥美清の対話は何ということはないが、松竹を代表する名優の意外な組み合わせに惚れ惚れとしてしまう。このふたりが最後どうなったか描写が欠落しているが、カオス状態の終盤に疲れてどうでもよくなり、多分スケジュールの都合で撮影に来られなかったのだろうという本来は考えられない理由で許されてしまう。
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