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[コメント] ハリー・ポッターと賢者の石(2001/英=米)

「ハリーの魔法は,止まらない…」(テレビCMより)って,おいおい,ハリーほとんど魔法使ってないじゃん?
ワトニイ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冷静に考えると,映画の中でハリーは,ホグワーツで魔法を習いはじめたばかりだし,魔法よりもむしろ勇気や正義感を武器に冒険していったような気が…。まあ,観る人々を魅了するという広い意味での魔法だと考えれば,自然なんでしょうけどねえ。

以下,最初に映画を観た時の感想。

−−−−−

「友達は自分で選ぶ!」とマルフォイの差し出した手を拒むハリーは,まさに原作そのまま。ついでに,私的解釈による原作の魅力も…。

≪以下,映画だけでなく,原作のネタバレもありますので,ご注意を!!≫

これだけたくさんの方がコメントやレビューを書かれた後なので,今さら目新しいこともあまりないと思いますが,感じたことを少々…(と言いつつ,これまで私が書いたレビューの中で最長になってしまいました)。

−−−−−

○ この映画は,原作に忠実か?

原作があまりに有名になりすぎてしまうと,どうしても「原作と違う」とか「原作のあの場面がないとねえ」などと,ついつい原作と対比しながら観てしまうが,そうした原作との対比は,映画自体の魅力を論ずる場合はあまり意味がないと思う。

ただ,そうは言っても,原作を先に読んでその世界観に接した人にとっては,どうしたって原作との比較は避けられないだろう。私自身は,映画を観に行く前に1作目の『ハリー・ポッターと賢者の石』だけ読んでいたのだが,正直なところ,それほど原作の魅力にハマったわけでもなかったので,比較的原作のイメージの影響を受けずに映画として楽しめたと言えるかもしれない。

原作との対比という意味では,この映画は,わりと原作に忠実に作られていたと思う。いや,正確に言えば,原作の持つ世界観を見事に映像で表現していたように思う。たしかに原作のストーリーはかなり省略されており,個々のエピソードも相当抜け落ちている。原作にそれほどハマらなかった私でさえ,観ている最中に「あの場面が,カットされてるじゃないか」と何度か思ったくらいだし,コメントに書いた「友達は自分で選ぶ!」というセリフ(確かこんな感じだったと思う)も,後で確認したところ原作とはだいぶ違っていた。

にもかかわらず,この映画の中に描かれていたのは,まぎれもない原作ハリーの世界だったと思う。それは,ハリーをはじめとするそれぞれのキャラクターが,設定といい容姿といい,まさに原作を読みながら思い描いていたイメージそのままだったからだと思う。個々のセリフや場面場面での行動が違っていても,もっと本質的な面での人物設定などは原作のイメージを損なわずに描かれていた。それに,陰鬱で幻想的な英国の風景や古城内の様子なども原作のイメージを忠実に再現していたことも大きいだろう。結局,この映画が原作に忠実だと感じられるのは,ストーリーの細部の作りなどではなく,全体的な雰囲気が原作の世界観を巧く醸し出していたからだと思う。

○ 映画としての出来について

原作との対比という意味では,この映画はなかなかよくできていたと思うのだが,では,純粋に映画としてみたらどうだろうか?

上で述べたことと矛盾するようだが,この映画は原作のストーリーに忠実でないがゆえに,あまりにも話が平板になってしまっていたと思う。たぶんこの映画,原作を読んでいない人が観ても十分にストーリーを理解できるだろうし,登場人物たちの個性もすぐにわかるだろう。しかし,原作の持つ面白さには,とても及ばなかったのではないか?

つまり,映画は原作の雰囲気こそ見事に表現してはいたが,ストーリーがあまりにも荒削り過ぎて,映画としてのまとまりがないのだと思う。例えば,犬猿の仲のハリーマルフォイの出会い。原作のハリーは,ホグワーツに行く前の買い物の際,偶然マルフォイと出会っているが,その初対面でのマルフォイのイヤミな言動があってこそ,後々のハリーとの確執が生きてくるのではないか。また,ラストの寮対抗の得点争いではネヴィルが10点獲ってグリフィンドールが優勝するが,そもそもホグワーツに向かう列車の中からずっと足手まといになっていたネヴィルの描写がないと,ラストの感激も薄れると思う。原作では,かわいそうなくらい冴えなくて目立っていた彼が,映画ではラストまであまり目立たなかったのは残念。

さらに,クライマックスの魔法のチェスではロンが大活躍するが,ここも原作は途中で巧く伏線を張っている。原作では,魔法の勉強ではハリーハーマイオニーにはちょっと及ばないロンが,チェスではハリーを軽く打ち負かして意外?な特技を見せるのだが,映画ではチェス・シーンがあるだけで,大した伏線にはなっていない。だから,なぜあの場面でロンがチェスの駒を動かすのか? 自分を犠牲にしてハリーたちを先に行かせようとするのか?がもう一つピンと来ない。 そして,一番大きいのは,ホグワーツに行く前のハリーダーズリー家でいかに手ひどく扱われていたかという描写。原作では,くどいくらいに虐められるハリーが描かれていたが,映画では大部分が省略されて,主なエピソードをあっさりなぞるだけになっていた。これでは原作を知らないと,やや恩知らずなハリーにも非があるように見えてしまい,一番肝心なハリーのキャラクターの魅力が生きてこないと思うのだが…。

これらの点は一つ一つとってみると細かい点なのかもしれないが,積み重なっていくと大きいと思う。こういうところをもう少し踏み込んで映画化すれば,なかなかの作品になっていたように思う。上でも書いたように,全体的な雰囲気などは原作に実に忠実なのだが,肝心のストーリーが隙だらけ(穴だらけとまではいかないが)なのは,何とももったいない気がする。

○ 私なりに感じた原作の魅力について

ところで,上でも書いたように私は,原作を読んで,つまらなくはなかったが,ことさら魅力的にも感じなかったのだが,こうして映画を観た後で,改めて原作の魅力がわかったような気がした。

以下,他の方もコメント等でいろいろと書いていらっしゃると思うが,私なりに思った魅力を三つほど…。

1.子供向けのようでいて,実は伏線が非常に巧く張られていること。

  『ハリー・ポッターと賢者の石』には様々な魅力があると思うし,それはいろいろな本などで指摘されているが,その魅力の一つは,伏線が実に巧く張ってあることだと思う(そのいくつかは,上で書いたとおり)。だが,そうした伏線の中で最大のもの,ストーリー上の最大のポイントは,善だと思われていたクィレルが実は悪で,悪だと思われていたスネイプが実は善だったという点だろう。で,映画を観た後で改めて原作を思い返してみると,クィレルスネイプが絡む場面は本当にうまくできていて,見事な伏線になっている。普通に読めば,殆どの人はスネイプが悪人だと思ってしまうだろう。この2人の絡みにちょくちょく遭遇するハリーたちの思い込みが,さらにこの伏線を強固なものにしていくわけだが,実は,それ以前に作品全体に流れる大きな伏線がある。

 すなわち,原作は,子供でも楽しめるだけあって,人物設定が非常に単純明快なのである。主人公ハリーはいかにも主人公然とした勇敢な少年であり,ハーマイオニーは根っからの優等生であり,マルフォイダーズリー一家はどこまでもずるくてイヤなヤツである。これは人物設定だけでなく,グリフィンドールスリザリンといった寮の性格付けにまで及んでいる。こうした人物設定が,実は,クィレルスネイプの善悪を逆に思い込んでしまう大きな伏線になっているのである。作品の殆どにわたって,これだけ単純な人物設定がされているのに,この2人に限ってだけ,意外などんでん返しがあるとは誰も思わないだろう。

 なお,残念ながら映画の方は,この巧妙な様々なレベルの伏線がうまく張られていないばかりか,早いうちからクィレルが怪しそうな雰囲気を漂わせてしまっていた。これでは,原作を読んでいない人には,「何だかこいつも怪しいな」とすぐにわかってしまったのではないだろうか。

2.一種のシンデレラ・ストーリーであること。

 これは,きわめて私的な意見かもしれないが,ホグワーツ魔法学校というのは,ある意味,選ばれたエリートだけが入学できる学校ではないだろうか。原作を読んでいると,どうしてもマグルと呼ばれる普通の人間より魔法使いの方が魅力的に思えてしまうし,殆どの人は心の中でちょっとくらい憧れる気持ちを抱くのではないだろうか。今までダーズリー家でつらい日々を送っていたハリーがある日突然,魔法使いだと知らされる。しかも,ただの魔法使いではなく,生まれながらにして才能と資質に恵まれた特別の魔法使いで,みんながその名前を知っている。そして,入学する学校は,魔法使いのエリートの集まりである。一歩間違えばものすごくイヤミな印象になってしまうが,これが現実の勉強で現実の学校に入るという話ならともかく,ハリーのキャラクターの魅力もあって,多くの人は,やっぱりワクワクしながらこの世界に入っていくことだろう。その意味で,単に魔法の物語だから…という以上に,とても夢のある話だと思う。

3.ホグワーツ魔法学校が魅力的であること。

 2.で書いたことをもう少し詳しく書くと,ホグワーツ魔法学校というのは,とても魅力的な学校だと思う。まず,ごく限られた選ばれた子供たちしか入学できないこと。これは,英国のパブリック・スクールにも相通じるものがあると思う。基本的に,家柄も育ちも良い家庭の子息だけが入学を許可され,将来,英国を背負って立つための英才教育を受ける学校。日本でエリート教育というと,すぐに批判されるが,英国では古きよき時代の伝統らしい。たしか『炎のランナー』の主人公もそうした学校(あれは大学?)で学んでいたのではないだろうか。そうした学校に入れるものなら,たしかに入ってみたいと思う。そして,この学校が現実にはあり得ない空想上の魔法学校だからこそ,余計に魅力的に映るのではないだろうか。

 また,授業自体も,あまり勉強してるようにも見えず,何とも楽しそうである。加えて,古城の寮や寮ごとの対抗戦。この辺も,何となく昔の旧制中学などの雰囲気を感じさせる(もちろん知っているわけではなく,小説などで読んだ限りでは)。こんな学校で勉学生活を送れるなら,ぜひとも送ってみたい。

−−−−−

少々…と言いつつ,本当に長々と書いてしまいました。ハリーの世界にハマってないと言いつつ,結構細かいところまで覚えているところをみると,知らないうちにハマっているのかもしれません(^_^;)。ここまでお読みくださった方,どうもありがとうございました。m(_ _)m

(評価:★3)

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