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[コメント] 光の雨(2001/日)

映画的評価としては☆三つだか、夢を語る題材としては☆四つだろう。誰もが一言語りたくなる団塊世代の若かりし頃の夢。果たして監督はこれで総括できたのだろうか?(040910)
しど

高橋伴明('49)の世代がこの時代をどう「総括」するのか、そこは非常に興味があったのだが、一つの物語として描ききることができず、劇中劇による第三者の視点としての「ツッコミ」を含んだのは、ある種、逃げたようにも思う。ただ、それはそれで、むしろ、自慰的作品に陥らず、誰でも「見れば語りたくなる作品」として上手く出来上がったように思う。なので私も語ります。

果たして、革命戦士達の行いとは何だったのか。現在とはかけ離れた価値観なのだろうか。私は、太古から存在する、青年の「夢」を託した行動に過ぎないと思っている。夢だからこそ、当事者は行き場を失ったし、回顧する者や想像する者は否定しきれないのだ。

団塊世代とは何だったのか。古い価値を無価値として生まれた世代である。新しい日本の夢を担う世代だった。多大な夢を託された子供達は、子供の青い論理を展開して理想郷を築こうと、現実に行動した。この行動原理は、何時の時代も共通した憧れを抱かせるだろう。しかし、現実は、団塊の世代だけが世の中を支配していたのではなく、古い世代が実際に社会を支配していた。ここで、現実と乖離した夢想の団塊世代と現実論で立ち塞がる世代との戦いが生じる。夢想とはいえ、実際には、新しい知識で理論武装をしていて、こむずかしい単語で煙に巻く屁理屈は、否定しづらい輝かしい言葉にも思えただろう。彼らが目指した共産主義にも、共通した儚い輝きがある。

この作品を見ていて、登場人物よりも一回り以上年をとってしまった私は、彼らのセリフの節々に、つい笑ってしまう。それが人殺しの言い訳で使われていたとしても笑ってしまうのだ。青い論理。小難しい単語で覆い隠してはいるが、所詮は戯言。「何いってやがんだ」という言葉とともに、リンチが重ねられていく。あくまで理想の為の人殺しだ。だが、そんな彼らが肩を組んで「インターナショナル」を合唱するシーンには、自分が失った純粋な「楽しみ」を見てしまう。仲間と純粋に楽しんでいる姿だ。楽しい楽しいママゴトに、現実的な「死」が紛れ込んだとしても、それすら楽しみの一部になってしまう恐怖。

彼らの行いは、楽しみであり、かつ、次世代の理想を担う者としての「純粋」である。まさに、夢の中の行いであったろう。そこに世代を越えた憧れと懐かしみが生じる。そして、現実として建設的ではない夢は、いつしか悪夢になる。閉鎖的な集団の末路は、常に悪夢がつきまとう。「理想」を前提にすれば、人殺しすら可能にしてしまうのは、戦争であれ、オウムであれ、常に我々が囚われる罠でもある。

劇中劇として描かれる現代の若者としての役者達が、何時しか自己批判をしているなど、同化してしまう姿を挿入したことは、「俺達だけが特殊じゃなかったんだ」という、監督が導いた一つの答えなのだろう。団塊世代だけが特殊な現象では無いというこの視点を、わずかでも示してくれたことは、作品に見るべき価値を十分に与えている。

それにしても、裕木奈江の演技はリアルだった。あんな糞女によって、いとも簡単に夢がおかしな方向に向かうというのも、現実的なんだろうな。今日も永田洋子のような悪魔の囁きによって、サービス残業をしていないだろうか?(笑)。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] sawa:38[*] ぽんしゅう[*]

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