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[コメント] セブン(1995/米)

本当か嘘かはわからないが、ある美大の卒業制作に、自分の焼身自殺を映像に撮った男の話を、随分前だが聞いたことがある。その男は、何でも芥川龍之介の「地獄変」に、強烈に影響を受けた結果、その道を選んだそうだ。
Linus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







実は、私はこの話を全然バカにできなく、ある種の感動をもって 話に聞き入ったことを覚えてる。

物を作る人間が、〈死〉をテーマに作品を作りたい衝動に 突き動かされるのは、そのように生まれたのだから、 仕方ないことだと思うのだ。作家の運命(さだめ)と言ったら、 あまりにも傲慢だろうか? どんな人間にも〈生〉と〈死〉が与えられ、 子供を作るはずのセックスでさえも、エロスでありタナトスだと論じられている。きっと人間は一生、生死の呪縛から逃れられない生き物なの だろう。

そして『セブン』では、絵画や文学や写真のモチーフが、 殺人そのものまでに変換されてしまった。 死体はまるで、マルセル・デュシャンの レディメイド作品かのように昇華されたのである。

・・・と書くと、何を言ってるんだ。この芸術至上主義者と反発されると思うのだが、許せるのはここまでである。 この映画のストーリーがどんなに残虐であろうと後味悪かろうが、 私にとっては、映画の枠から出ていない限り、エロスとタナトス、 罪と罰、性善説と性悪説、感情と理詰め、老いと若き、新米と定年、 既婚と独身、白人と黒人、正常と異常、雨と晴れ・・・カオスな状態では なく、全てが相対化されていたので(これがハリウッドの限界と思いつつも)、わかりやすく見ごたえがあった。

しかし、これが現実に飛び出してしまったら、話は別である。 例にだすまでもないが、97年に起きた酒鬼薔薇聖斗事件は、 頭部を正門前に置き「これが僕の作品」と思ったそうである。

頭の中で考え作品(映画や文学など)にする人と、 現実に殺人を犯し、死体をオブジェとみなす人では、 明らかに違うと、大人になったから思えるのであって、多感な10代は 同じだと思ってしまうのかな? 真似をしないようにしましょうとしか 私には言えないんですけどね。

(追記)............................................................

ラストについて。

時間が少し経って考えてみると、ラストが無性に気になりだした。 上記に、相対化はハリウッドの限界と記したが、ここまでくると 意図的に徹したとしか思えなくなった。 つまりラストは、人間と神(創造者/罪を裁ける唯一の存在/殉教者?) の二項対立なのである。人間は、神に勝てたのか? 負けたのか?

確かに神(殉教者)は、7つの大罪を犯した人間を、完膚なきまでに 殺した。(芸術作品の完成)しかし、人間(ブラピ)は、自分の感情によって、最後の最後で神を殺すのである。そうなると、絶対であった、 神が死ぬ。・・・これって、ニーチェ?

人間は神に負け、神に勝てた。ということは、ここで初めて見る者を、 矛盾の海に突き落とすのである。あれほどまでに、単純だった世界が、一挙に灰色の曖昧な世界に変わり、ただただ強烈に動揺させられるのだ。

ジョン・ドゥは、神や殉教者の暗喩ではなく、あくまでも悪魔・狂信者と 捉え、アンチ・ヒューマニズム映画の際たるものと考えた方が、 見る者にとっては、心の安寧をはかれる。しかし、私は心を大いに 揺さぶられたし、人間の存在に対し、石を投げたんだと思いたい。

考えれば考えるほど、この映画は凄い。 初めの意図(サイコスリラーエンタメ映画)とは別に、ある段階で、 ミューズが降りてきたと思ってしまうのは、買いかぶりでしょーか?

(評価:★5)

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