[コメント] 愛のコリーダ(1976/日=仏)
言わずと知れた1976年に公開された作品の再編集版。当時カットされたシーンは復活していると言うが、性器にはぼかしが入っている。
ストーリーは終盤までほとんど性交シーン。ストーリーの展開ですらも性交しながらのセリフのやりとりで進んでいく。終盤にはお互いの体を痛めつけることで快感を得るあまり死に近づいていく二人の姿が描かれるが、なるほどそれまでの性交シーンがなければ単純なSM趣味となってしまい、愛情の深化という説得力はなかったかも知れない。
あらすじなどの情報で、料亭の主人と女中という関係から前近代的な女が黙って付いていくような男女の関係を思い浮かべていたが、実は全く違ったものだった。女が積極的に男を求め、男はそれにすべて応じ、自分のわがままを女に押しつけるようなことはしない。すなわち、男はすべてを与え、女はすべてを奪うのだ。この男女の関係性は20年以上の年月を経て今でも、いや今だからこそ大きな意味を持つのではないだろうか。少なくとも女性の性に、もしくは自分の肉体に対する意識はこの年月の間に大きく変わり、定への共感も少なくないように思える。
映像としてはフランスの資本で作られたと言うことで、やや欧米での公開を意識したジャポニズムを過剰に演出したものになっている。そうしたセットや照明効果には違和感を覚える人もいるだろう。
ところで、ぼかしが入っていることの意味について一言。今回については擬似性交をごまかすものではなく、明らかに性器の結合を隠していると分かる時点でもはや意味はあまりない。それよりも役者たちが性交しながらセリフを間違えずに発し、演技をしているということに素直に感動を覚える。その意味では性交を重ねるあまり本当にやつれていく藤竜也がすさまじい。これほど役者が肉体を賭けた作品、それだけでこの作品の価値は非常に高いと考える。
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