★3 | 夜を賭けて(2002/日=韓国) | せっかくの疾走パワーが何処にも向かわず自己完結してしまった。それはこの映画が40年前にすでに存在した今村昌平や大島渚作品の延長線上で「居直り」と「反逆」を焼き直しただけで、何故、今このテーマなのかというビジョンを持っていないからだ。 | [投票(1)] |
★3 | ニワトリはハダシだ(2003/日) | 思わず「またかよ」と呟きたくなる爺さんの繰り言のように、庶民の生活の中にアンチの笑いを散りばめて、これまた何時ものように取り散らかしたように展開される物語は、今や森崎映画という一つのジャンル。だから、もうしかたがないのです。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 蕨野行〈わらびのこう〉(2003/日) | 「おばばよい、・・・ありつるか」、「ヌイよい、・・・したらよい」と淡々と繰り返される姑(市原悦子)と嫁(清水美那)の疎通が切ない。唄のようで、詩のようでもあり、呪文のようでもある。まさに、この世とあの世を行き来する心情の言霊のようだ。 | [投票] |
★3 | 女囚さそり けもの部屋(1973/日) | サソリは捕らわれていてこそ毒を生む。都市の小市民的悪事の中になど、サソリの怨念に拮抗し得る暴力など存在するわけがない。ドブネズミよろしく下水溝に追い込んだところで物語が矮小化するだけ。ところで、ナミの手配ポスターが凄くいい。ぜひ1枚欲しい。 | [投票(3)] |
★4 | サマー・ソルジャー(1972/日) | 日本人にとって、ベトナム戦争が決して海の向こうの遠い国での出来事ではなかったということが、今さらながら良くわかる。教条主義的観念と興味本位的正義感の両極しか持たぬ日本人たちの中で、帰属すべき場を見失ったアメリカ青年たちの彷徨が痛々しい。
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★2 | 任侠外伝 玄海灘(1976/日) | 近藤(安藤昇)、沢木(宍戸錠)の腐れ縁はご都合主義的形式でしかなく、田口(根津甚八)の自棄にも凄みも悲しみもなにもない。つまりは、物語に背景と軸が存在せず、これでは韓国女(李礼仙)が有機的にからむ余地がない。 | [投票(1)] |
★3 | 新宿泥棒日記(1969/日) | 頭の中で考えた“性の解放”からなんとか飛躍しようと、また頭の中で考る。そんなジレンマを感じてしまう。30年前の性意識。 | [投票(5)] |