★3 | 暴行切り裂きジャック(1976/日) | ロマンポルノ界きっての不美人桂たまきの仏頂面がリアル。どうせなら、狂女→女子大生→ブティックの女→有閑婦人→看護婦→娼婦→巫女の順に襲っていたら、「男は狂気に侵され、癒しを求めて神になった」とか書けるのに・・。何にも考えてないんだもん。 | [投票] |
★5 | 四畳半襖の裏張り(1973/日) | 愛が前提の性行為だけが正当だとか、貧困が性の奴隷を作る、などと言う幻想は純粋な肉体の欲求の前では何の意味も持たない。制度の下に隠蔽されている「本来のSEXと人間」を、神代辰巳が宮下順子の肉体を使ってスクリーン上に再現してみせた。 | [投票] |
★4 | 真夜中の妖精(1973/日) | 自らもその原因が判然としない憎悪をたぎらす反逆者一夫(風間杜夫)と、その理不尽な闖入に向けられる冴子(潤ますみ)の強烈な憎悪の視線。カナリヤ(山科ゆり)が浮遊する「深紅」と「純白」の端境期は、エロスではなくタナトスに支配されている。 | [投票] |
★4 | (秘)女郎責め地獄(1973/日) | 死の臭いを放つ女が、望みと諦めの間を揺れ動くさまを中川梨絵は声で演じ分ける。時に低く唸るように、時に微かに囁くように、そして甲高く嘲るように。これだけの女優が、スクリーンを去って久しいのは日本映画にとって大損失。
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★5 | (秘)色情めす市場(1974/日) | 幻影でしかないが確かに存在するはずの父を、手配写真の殺人犯に重ねてトメ(芹明香)の欠落感が浮遊する。「ゴム人形」と「ニワトリ」の交わりは、人であることの確認行為でもあり放棄でもあるのだ。ニワトリとともに飛翔を挑むサネオの通天閣シーンは圧巻。 | [投票(2)] |
★3 | 青春PARTII(1979/日) | 前半の青春彷徨パートは画一的でちょっと退屈。しかし競輪学校に入ってからの一途さには共感を覚える。迷い続けること、そして信じ続けること、それが青春だとしたら舟木一夫もまた青春を一生引きずり続けるのだろう。 | [投票] |
★3 | 女教師 私生活(1973/日) | 死にもしない、殺しもしない、殺されもしない、もう決して若くはない女教師の孤独。その存在そのものが密やかな吸引力となり、いつのまにか男を吸い寄せる不気味さ。大都会に潜む自覚せざる磁場を描いて田中登美学が全開。 | [投票] |
★3 | 覗かれた情事(1972/日) | 今では年輪を重ねたお婆ちゃん役で存在感をみせる白川和子が、看板女優として一人で濡れ場を背負う初期の正統派ロマンポルノ。ワカメちゃんみたいな超ミニスカートでソフトクリームみたいにボリューミーなヘア揺らして閑静な住宅街を闊歩する姿が微笑ましい。
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★4 | 夜汽車の女(1972/日) | シナリオの行間に、溢れんばかりに詰め込まれたイメージの連鎖。庭で戯れる姉妹のカット群、夜汽車内から湖へ、さらに森を彷徨う姉妹。それは、就寝中の夢のように不確実に連なる映像の連鎖が、確実に物語を形づくっていくのに似ている。理屈を越えた推進力。
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