「淡々とこなす男・平山秀幸の仕事」(ぽんしゅう)の映画ファンのコメント
ぽんしゅうのコメント |
学校の怪談2 GAKKOU NO KWAIDAN(1996/日) | 笑いの要素を取り入れて一作目との差別化に成功。笛吹き少年と泥棒とのやり取りは特に秀逸。惜しむらくは時計台の妖怪の造型があまりにもお粗末。 | [投票(1)] | |
OUT(2002/日) | 鄭義信脚本の簡潔な台詞が、陰惨なはずの物語にポジティブな推進力を与える。それを的確に表現する女優達。工場、居室、浴室といった閉塞空間の鬱屈が徐々に覚醒され、カラオケルームを経て一気に北海道の空撮へと昇華される飛翔感が気持ちよい。 | [投票] | |
やじきた道中 てれすこ(2007/日) | 勘三郎と小泉の江戸弁の活きのよい掛け合いに、突如割って入る笑福亭松之助のとぼけた上方風味。さららに、この手の喜劇に欠かせない松重、山本の間抜けコンビぶりもいい。落語ネタのツボを心得、間を知っているベテラン俳優たちと平山秀幸の心憎い大人の喜劇。 | [投票] | |
必死剣 鳥刺し(2010/日) | 現在と過去を行き来する物語の進行が的確で、その心地よいリズムに乗せられてぐいぐいと話に引き込まれる。さらに、余分な装飾を排除した平山秀幸の禁欲的な演出が「硬質な緊張」と「端正な品格」を生み出しクライマックスの剣戟の悲壮美に格調の高さが漂う。 [review] | [投票(1)] | |
マリアの胃袋(1990/日) | 森田芳光の「バカヤロー」シリーズや滝田洋二郎のアジア旅行物など、90年前後に量産されたバブル警鐘映画の中にあっては異色作。飽食の時代をファンタジーで料理しようと試みた西岡琢也と平山秀幸には好感がもてるが消化不良は否めない。 | [投票] | |
レディ・ジョーカー(2004/日) | 導入から事件発生までの簡潔でスピディーな展開は心地良く、高村薫のヒリヒリとした焦燥感を尊重し、登場人物を全員ストイックにまとめた平山秀幸の演出も方法論としては理解できるのだが、いかんせん時間が足りなかった。 [review] | [投票(5)] | |
ターン(2001/日) | よくもまあ、こんなに映画にしにくい話を選んだものだとあきれつつ、なんとかカタチにしてしまう手腕にも驚きます。唯一の失敗は、セリフのつまらなさ。言葉を発する限られたチャンスを、有効に使えなかったのは残念。 | [投票(5)] | |
ザ・中学教師(1992/日) | コミュニケーションの断絶をここまですなおに提示されると、ある種納得せざるを得ない。しかし大切なのは“納得すること”などではないはず。あまりにも平山秀幸監督は冷静だ。 | [投票(1)] | |
愛を乞うひと(1998/日) | 正常と異常の境界が時代や社会の規範によって変わるように、愛情の有無の境目も曖昧であることを照江は教えてくれる。理容店での再会。ひとつの鏡の中に映し出される母娘の顔。視線が交錯する一瞬の緊張。同じ男を愛しながら、愛し合えなかった母娘の苦悩。 | [投票(5)] | |
しゃべれども しゃべれども(2007/日) | 八千草と伊東の自然体を見よ。コミュニケーションの壁とは実は言葉の問題などではなく、プライドと言う名の自己愛が作り出した態度の問題なのだ。プライドとは、所詮は自分のための拠りどころでしかなく他人に関係あるはずがない。 [review] | [投票(1)] | |
笑う蛙(2002/日) | 男のどうしようもない甘えとエゴ。あまりにストレートに露呈される男の本質は、まさに子供。それを取り巻く者達の反応も、また己の都合と保身のみ。繰り広げられる醜くも滑稽なさまは、決してフィクションなどではなく、私達の日常そのものではないのか。 | [投票(4)] | |
魔界転生(2003/日) | 城攻めや大名行列はリアルに丁寧に描かれ、四郎(窪塚洋介)やお品(麻生久美子)の妖気は衣装とメイクと照明に負わせGCは最小限にとどめられる。現世と魔界をつなぐために何を見せて、何をしてはいけないかを平山は心得ている。しかし、・・・ [review] | [投票(7)] | |
学校の怪談4(1999/日) | 妖怪オンパレードに終始した前作までとは、趣を異にしたファンタジー作品。奇抜な展開やトリックがあるわけではないが、シリーズ中では群を抜いた面白さ。仕掛けも気負いも無く淡々と描きつつ、最後まであきさせない平山秀幸監督の力量は本物。 | [投票(8)] | |
学校の怪談 GAKKOU NO KWAIDAN(1995/日) | 過剰にならないFSX、精度の高い脚本、こびない平山演出。初めから“お子様ランチ”など狙っていないのがよい。 | [投票(2)] |