コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ブラッドシンプル(1985/米)

コーエン兄弟のしたたり
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







皆さんはこの映画の最初の場面を覚えておられるだろうか。それは胡散くさいおっさんの解説が終わり(ザ・スリラー版)、本編に入ってすぐのカットで、荒野に伸びた一本の道路になにかゴミのようなものが落ちているというショットである。私がこの場面を見て思ったのは「あのゴミみたいなものは何なんだ?」という疑問だった。ゴミそのものはちぎれたゴムのようであり、道端に落ちていても別に不思議ではない。私が気になったのは、あのゴミはなにか意味があって置かれたのか、それともなんとなくあったから撮っただけなのか、という点だった。そこで私はその謎を解くカギを求めて本編を繰り返し徘徊した。

手掛かりが見つからないまま観た回数だけが無駄に増えていくばかりの中で、私はある場面に注目するようになった。それは死んでなかった旦那が自分を生き埋めにしようとする恋敵の男を銃で撃とうとする場面で、旦那は引き金を引くが弾は発射されず、男がそっと手をのばし銃を取り上げるというカットである。(開始58分)銃を持った手とそれに向かって恐る恐る伸びる手のアップ・・・このカットが序盤のシーンに酷似している点に気がついたのだ。それは旦那の家に銃を取りに戻ったマクドーマンドと男のシーンにあった。(開始14分)男がビリヤードしている所へ旦那の犬が近寄ってきて、男は恐る恐る手を伸ばし犬の頭をなでるというカット。ここで犬に注目していただきたい。犬の横顔というのはシルエットで見れば、銃を持つ手のシルエットに似てはいないだろうか?しかもシルバーの銃に対し、犬の色も銀色(シベリアンハスキー?)とくればほぼ間違いなくこの二つの場面はわざと似せて作ったと言えるだろう。ここで私の脳裏に、ある仮説が浮上した。「もしかして、この映画の中にある特徴的なシーンは、他の場面と符合するのではないだろうか?」

そこで私はこの映画における特徴的なシーンを振り返り、この仮説が該当するか検証してみた。まず浮かんだのが、旦那がマクドーマンドに襲いかかり、後ろから抱きかかえるように家の外へ連れ出す場面。(開始24分)ここではサム・ライミの死霊のごとく二人に襲いかかるように迫ってくるカメラワークが特徴的だった。だが、そんなカメラワークはどこを探しても見つからなかった。では先ほどの仮説は間違いだったのか?あきらめきれずに画面を眺めていると、後ろから抱きかかえるポーズは他にも存在することが判明した。それは死んだと思っていた旦那が車から這うように逃げ出した所を男が引きずって車に戻す場面である。(開始56分)この場面では彼らに向かって対向車線のトラックが迫ってくる。ここで私はひらめいた。これを文章にすると「抱きかかえてる二人の人物に何かが迫ってくる」となり、前述の場面と一致するとは言えまいか、と。また旦那はどちらの場面でも口からものを吐いており、最初はゲロで次は血を、といった共通点もあり、これらの点から見てこの二つの場面は符合すると言えなくもない。

しかし、これだけではただのこじつけのようで決定的とは言い難い。そこで私はもう一歩踏み込んでみた。それは先ほど述べた生き埋めの場面(開始53分)における一連の流れである。この場面の流れを簡単に文章にすると、「這って逃げる旦那、それを畑に連れて行き、穴に入れ、向けられた銃に手を伸ばしこれを取り上げ、土をかけて埋め、スコップでパンパンと地面を叩いて生き埋め完了、一服し、畑から移動、マクドーマンドに電話」となる。では先ほどの男がビリヤードする場面を振り返ってみよう。ビリヤードの場面(開始13分)は「犬が歩いてくる、男がビリヤードをしている、男は犬の頭をなでる、犬がしっぽを振りとんとんと音がする、男が煙草をくわえたまま壁にかかっている写真を見る、その後インターホン越しにマクドーマンドと話す」となる。わかりにくいので説明させていただくと、四足で歩く犬の姿は這って逃げる旦那の姿に重なっている。続いてビリヤードの場面だが、これはビリヤード台が畑に相当し、ボールが人物、そして穴に落とす行為が生き埋めの流れに一致する。その証拠に台の色は畑と同じ土色で、落ちるボールの色は赤である。そして前述の犬の頭をなでるカットが一致し、犬がしっぽを振り、それが壁に当たってとんとんと音を立てるが、これはスコップのばんばんというリズムに一致している。次に男はマクドーマンドと旦那が写った水着の写真を眺めるのだが、この写真で旦那は片手を上げたポーズで写っている。このポーズがポイントで、旦那が生き埋めになる場面で土をかけられた時、彼は片手を上げて土を防ごうとしている姿に一致する!その後のインターホンの場面は生き埋めの後の電話に一致している。(書き忘れたが男が持っていたスコップはビリヤードの場面ではキューが該当する)ここまで来ると、この映画には図形的な類似(銃と犬の横顔)や、シチュエーションの類似(ビリヤードと畑や抱きかかえなど)といった形でふたつの場面が繋がっていると考えられるのだ。実際のところ、この映画には同じような場面、同じようなセリフ、そして反復する音楽など、様々なものが対になって繋がっている。ではなぜこのように二つが繋がっている演出が必要なのだろうか。

次に視点を変えて登場人物の持ち物に注目してみよう。持ち物と言えば、真っ先に思い浮かぶのは探偵のライターだろう。このライターの色はシルバーであり、ライターは開閉式で上下二つのパーツが繋がってできている。ここで「二つが繋がって一つになる」というキーワードが浮上する。では次に探偵以外の人物の持ち物をチェックしてみよう。まずマクドーマンドだが、彼女は貝の形をしたシルバーのコンパクトミラー(開閉式)をもっており、キーワードにぴたりと当てはまる。続いて旦那は、折られた人差し指にシルバーのギプスをはめ、小指にはシルバーのリングをはめており、これも当てはまる。最後に男であるが、彼は引越しの時、折りたたみ式のナイフを持っていた。このように四人の登場人物はいずれもシルバーで二つのパーツでできているアイテムを持っており、この点から見ても「二つがつながって一つ」というのがこの映画のキーワードであると見て間違いないだろう。ちなみにシルバーの銃も弾の装填が折れ曲がり式?で二つのパーツという点で一致し、しかも銃は四人全員の手に渡っており、彼らはシルバーの運命で結ばれていたと言えるのだ。

ここでこの映画の中で忘れてはならない重要なアイテムを思い出した。それは四匹の魚である。ここまでの検証により浮かんできた「二つが繋がって一つ」という観点から見た場合、この四匹の魚にも何らかの形で符合する場面がなければならない。ではいったいどの場面と繋がっているのだろうか。まず四という数字から見て、この魚が登場人物の比喩である事が推測できる。だがこの映画には四人が揃う場面は存在しない。そこで魚について考えられる特徴から探してみることにした。まず魚の色は銀色であり、これは人物のシルバーの持ち物に一致する。さらに魚は水で濡れており、そう言えば登場人物全員も汗やらゲロやら血で濡れていた。つまりシルバーで濡れていて、しかも四つあるもの・・・勘のいい方はすでにおわかりだろう。そう、ラストシーンに出てくる、あの洗面台の裏にある配管である。配管は曲がりくねって繋がっているが、主要な管は縦に四本あるように見え、これが四匹の魚のイメージに繋がっていたのだ。管、すなわちパイプには二つの部分を「繋ぐ」という役目があり、まさにこの映画のキーワードに合致する。そして洗面台の裏にある入り組んだ配管は、四人の登場人物の複雑な「繋がり」のメタファーとも言えるだろう。さらに場面と場面を繋ぐという演出も、洗面台の裏の配管のごとく複雑に入り組んでおり、この洗面台こそが映画そのものを象徴していたと言えるのではないだろうか。そして「二つが繋がって一つ」というキーワードは物事の二面性を現しており、それは洗面台の表と裏であったり、光と影だったり、部屋のこちら側と向こう側といった形になって何度も反復されているのだ。(ちなみにクライマックスで探偵が窓越しに手を刺される場面は、二つの部屋が探偵自身の手によって繋がっており、まさにこの映画のテーマそのもの)

こうしてこの映画のテーマが「二つが繋がって一つ」であると結論づけた私は、もう一度映画の始まりから、場面の流れを順に追ってみることにした。まず最初は例のゴミの落ちてる道路、続いてテキサスの風景に探偵のナレーション、そして走る車のヘッドライト、雨の中の車中の男女、といった順番だった。次にラストシーンの流れをチェックしてみた。アパートの部屋に男女がいて男が撃たれる、探偵と女の対決で部屋に穴が空き光の筋が差し込む、探偵が倒れ独白し、洗面台の裏でエンディング、となる。ここでアパートの窓の形に注目していただきたい。窓は半円形の大きな窓が二つ並んだ作りをしていたが、これは冒頭の雨の中を走る車のワイパーの動きに一致する。続く車のヘッドライトは終盤の部屋に空いた穴に差し込む光に一致し、ラストの探偵の独白は冒頭のナレーションに該当する。ということは、あの道路の場面はラストシーンに一致しなければならないはずである。そこで私はラストシーンで一番印象的である、あるものに気がついた。それは最後にしたたり落ちる、あの滴である。ここで滴のイメージを図形で思い描いてみてほしい。するとどうだろう、あの道路に落ちていたゴミのシルエットにぴったり当てはまるではないか!あのゴミはラストの滴と図形的な韻として繋がっていたのだ!その証拠に、滴もゴミも画面左上という同じ位置にあるではないか!このような衝撃的な結論に達した瞬間、私にはしてやったりと言わんばかりのコーエン兄弟のしたたり・・・いや、したり顔が目に浮かぶのだった。癪にさわるので負け惜しみを言わせてもらうとすれば、演出に凝りすぎて肝心の物語があまり面白くない・・・と文句をいいつつも、すでに10回以上観てる時点で私の完敗、最高点を献上した次第である。今回で道路のゴミの謎は解けたが、まだ他にも解明したい謎がいくつか残っており、観る回数はもう少し増えそうだ・・・。

最後に、この映画の「二つで一つ」というテーマは、監督のクレジットは一人だけど、ほんとは二人という彼らの演出スタイルそのものでもある。さらに後年、彼らはリマスターによる新バージョンを作ることにより作品そのものも「二つで一つ」というテーマを貫徹している。実際のところ彼らが狙って新版を作ったのかどうかは知らないが、そう思えるほど、この映画には病的なまでの執着とユニークな視点、そして瑞々しい感性がしたたり落ちているように感じられるのだった。(2010.6.9)

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (5 人)赤い戦車[*] ぱーこ[*] ナム太郎[*] 煽尼采[*] 3819695[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。