[コメント] 奇跡の海(1996/デンマーク=スウェーデン=仏=オランダ=ノルウェー=アイスランド)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ラース・フォン・トリアーの映画の感想をきちんと書こうとすることは、自分のモラルの告白のようだ。
彼が作る映画たちは、という文脈ではなく、この映画だけの話をしようとする。
エミリー・ワトソンのこの映画での濃い芝居は素晴らしい。初めて男の体を知る。はじめて知ったセックスへの興奮。それらをこんな方法で撮られてしまった日には、彼女に無垢なるものを感じざるをえない。しかし、次第に揺れるカメラさえあれば、それが真実を撮っているかのようなスタイル。売春婦になってから、穢れざるものであることを証明するために、死なねばならないという相変らずの安易なスタイル。そして、極め付きはCGの鐘。そこでは、ベスの無垢を。あるいはベスの死と生を、ただ映画の物語だとして祝福するのだ。この鐘で高らかに敬虔なる者を笑い、ラストのクレジットで、再び映画としてベスを曝け出す。
純真な愛を描いているというより、悪意で神なる者を装った物語でしかない。そして、正直なことを言うと、自分がそれを本当は嫌いではないかもしれない。ということだ。
トリアーに神を抱く人などを描いてほしくはない。
そうして、『奇跡の海』はもう一度観ることもあるかもしれないし、また、トリアーの作品が上映されればわたしは、必ず観にいくとは思う。しかし、わたしは、あなたの上手さにこそ、心を許せないし、わたしにとっての無垢なるものを汚したのだということも忘れない。
小心者なのでさらに修正: いや、もう、何書いたのかわからないよ。これ。 好きか嫌いかというと、実は好きなこの映画。 ただただ、あの鐘とエンドロールの後ろでは、ほくそ笑まれてるだろうよ。 「これこそ愛の映画」と、とても前を向いてなど言えない。こう、うしろむきに、寧ろ自分の醜い部分を認めさせる。 ある意味正直な、『キングダム』におけるトリアーの、異型なる者への醜悪なまでの好奇心ぶりさをウシロメタク惹かれるの。と言いたかっただけかもしれません。はい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (5 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。