[コメント] とらばいゆ(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
自分のわがままをわめき散らし夫に当り散らす妻。彼氏に家事一切押しつけて元カレと遊びまわってる彼女。
こんな女がただのイヤな女に見えないのはひとえに大谷監督の愛のこもった視線ゆえ。
夫に当たるのは仕事がうまく行かないから。それが自分のわがままなのは自分でもよくわかっているけれど、強がって生きてきたから今更甘えることなんて出来ない。甘えてしまったら自分がダメになるような気がする。
彼といるとホッとできる。でもそれに甘えてしまうと、今まで強がって生きてきた自分が全部崩れてダメになるような気がする。だから彼にわざとイジワルをしてしまう。そんな自分がバカだってことはよくわかってる。
「自立」と「エゴ」の区別がまだきちんとできていなくて、「結婚」や「恋人」の意味がまだよくわかっていない彼女たちだけど、なんて健気に一所懸命生きてるんだろう、と思う。
そして、彼女たちをやさしく受け容れる男たち。「愛する」ってのはまさに、相手を受け容れること、「ぼくは君のそういうところが好きなんだ」ってことなんだなあ。と教えられる。
彼らの行動も会話も、ちっとも図式的でなくて血が通ってる。映画の中でちゃんと生きている。だからバカなことやってたりすれちがいで関係がどんどんこじれて行ってもイライラしない。「あー、わたしもこういうことやっちゃうよなあ」とか「もう、しょうがねえなあ」なんて思いながら、彼らをいとおしく見つめていた。
そんな映画を作った大谷監督の「愛の視線」は、彼らが彼女らの心をやわらかくほどいたのと同じように、強情なわたしの心も少し解きほぐしてくれた気がする。
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登場人物が生き生きして見えたのは、役者たちの個性が活かされていた所為でもあるだろう。
塚本晋也のしなやかさ。村上淳のやわらかさ。市川実日子の強気そうな表情。
そして、瀬戸朝香の、将棋盤を見つめる眼。静かに、まっすぐに、しっかりと、勝負と向き合う視線の強さ。
わたしが見過ごしていただけなのかもしれないが、『修羅雪姫』の釈由美子しかり、個性をしっかりと掴んだ演出によって、女優とはかくも美しく花開くものかと感嘆することしきりであった。
これも大谷監督の愛ある視線ゆえ、である。そんな監督の、映画を作る際の「メイン・テーマ」は「すべからく愛すべき人間の姿」なのだそうな。ブラボー!
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