[コメント] さびしんぼう(1985/日)
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絵はとてもいいのだが、この作品がいまひとつ好きになれないのは、ヒロインが実は若い頃の母親であるという点につきる。個人的に萎える。息子と母親がべたべたと仲がよく、並行して若い母親の分身との交流、彼女にそっくりの憧れの娘への思慕を描くというのが、気持ち悪い。40過ぎて見直してもどうもやっぱり苦手だ。
橘百合子という原作にはないキャラクターを登場させ、あまつさえ富田靖子に2役演じさせ、「好きな娘=若い頃の母親にそっくり」という意味を負荷してしまったことは、私のような観客にとっては、原作の改悪の第一歩だったと思う。なぜなら、その設定がラストの「男の子はいつだって母親に恋しているものよ」という台詞に結実していき、これが作品の重要なテーマのような印象を抱かせるからだ。ヒロキはさびしんぼう(ピエロのほう)に恋をしている感じはしない。さびしんぼうとヒロキはもっと友達に近い、カラッとした明るい関係だ。それが、最後に雨の中で消えていこうとするとき、つい抱きしめてやり、その時ちょっぴり恋を(昔の母親に)する、というのだったら良かったのに、と思う。
仮に百合子がいなけりゃ「自転車を漕いだまま乗りこんでいく女学生」はなかったし、恋の映画になったことで感じられる甘酸っぱい雰囲気もなくなってしまうわけで、それは惜しいし、別の女優が演じるのでは「ヒロイン」の映画としては弱くなる(ビジネス的には有りえない)。もう少し「似てない一人2役」を演じきって、かつ藤田弓子と尾身としのりのベタつき加減を抑えてくれれば、良かったのだがなあ。
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