[コメント] サンセット大通り(1950/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ビリー=ワイルダーと言えば、どっちかというとコミカルな作品ばかりを思い浮かべてしまいがちだが、彼の初期の、そして出世作はむしろかなりシニカルなものが多い。こう言う作品をちゃんと撮ることが出来ると言うことも、名監督とされる所以の一つなんだろう。
輝ける夢の町ハリウッド。だが、それはほんの表面的なものに過ぎず、その奥にはどれほど努力をしても報われず、人知れずひっそりといなくなってしまう役者や脚本家、かつて大俳優と言われつつも、徐々に役もなくなり、忘れ去られた者も数多くいる。これはテレビの発達した現代では当たり前の話だが、この当時は、ハリウッドという幻想の裏側を見せつけた、本当にセンセーショナルな作品だったらしい。
この場合の夢とは、数多くの努力と犠牲、他の夢を踏みつけにして、ようやく出来てくるものに他ならない。たった一つの夢を世に出すために、どれほどの涙が流されるのか、その事を世に知らしめたと言う意味もあって、大きな賞賛を得たのかも知れない。事実アカデミーのノミネートの数ももの凄いし。セシル=B=デミル監督が本人として登場してるのも良い。
そう言う意味では、今の目で観る限り、当たり前の話をさも大事件のように描いてるだけでは?最初はそんな風に思っていた。勿論ホールデン、スワンソン、シュトロハイムの演技の巧さ(特にスワンソンの徐々に狂気じみてくる後半の表情は素晴らしい)は買うし、カメラワーク、間の取り方の巧さも充分賞賛に足るが、ストーリーは割合単純だし、何せ冒頭で話のオチが描かれている。質的には良い作品には違いないけど、メロドラマって好みでもないし、手放しで褒めちぎるほどの作品とは思ってなかった。
ただ、このレビューを書く段に至り、色々ストーリーのことを思い返していたら、なんか全然違った観方が出来るような気がしてきた。どうも引っかかる人物が一人。
この作品は全編ホールデンのモノローグによって引っ張られているので、ついついホールデン演じるジョーの方に目が行きがちなのだが、そのジョーが死んだ後、モノローグが終わっても物語は続いていく。実は本当の主題はそこにあるんじゃなかっただろうか?そう思えてきた。
そして、その場合の中心人物となるのはノーマでもジョーでもない。ここで本当の中心というのは、エリック=フォン=シュトロハイム演じるマックスではないのか?そう思えたので、もう一度頭の中で物語を再構成させてみる。今度はマックスを主体にして。
劇中の彼は昔、グリフィス、デミルと並び表されるほどの実力を持った監督であったが、ノーマという女優を前にして、彼女に心酔してしまう。それでノーマの最初の夫ともなったが、やがて結婚は破れた。だがノーマを捨て置くことは出来ず、執事として、彼女と共に住むようになり、今では忠実な召使いと言った身分と言うのが基本設定。
そんな身分に彼はある意味満足はしているようだが、やはり一方では、強烈な欲望を持っていたのではないだろうか?
ノーマをもう一度銀幕に復活させたい。と言う思い。そしてその彼女を自分の手で撮りたい。そのような思いがあったのでは?それはひょっとしてノーマ自身の想いより、実は更に強かったのではないか?
だとすれば、最後ノーマが自分を主演女優と思いこみ、階段を下りるシーン、あの瞬間、彼は確かに監督としてそこに存在した。あの「スタート」と言う凛とした声と、恍惚とした笑み。それは今に全く後悔していない。いやむしろ、人生最大の満足はこの瞬間にあった事を確信した瞬間を演じていたのではないだろうか?
最後、ノーマのアップの顔でEndクレジットが出る際、画面がにじんでいく…まさかこれは、カメラで彼女を撮ったのではなく、マックスの目で“見た”彼女の顔ではなかったのではないか?人生最高の瞬間、彼は涙を流し、彼女の姿を正視し続けることができなかったと言うことを示そうとした。そうなのかもしれない。
そう言う風に考えてみると、シュトロハイムと言う人物の演技の巧さと言うのをむしろ、讃えたくなる。これは邪道な観方なのかも知れないけど、こういう風に観ることも出来る。と言うことで。
実はこの作品、長いこと★4で登録していた。しかし、改めてこういう観方が出来ることが分かって、★5へと変えさせていただいた。これもコメントを改めて考えるという、シネスケならでは。
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