[コメント] 華氏911(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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学問の世界から野に下り、最近はアクティブなアメリカ政治史にも随分疎くなってしまって、実際ジョージ・W・ブッシュという人間がどのような背景を持ち、いかなる政治思想や倫理観をもってアメリカの舵取りをしているのか、深いレベルではよくわかっていない。ただ、かつてGMの企業城下町であったミシガン州フリントから出てきた太めの男による二本の映画や著作に触れたおかげで、ブッシュが何をやっても何をしゃべっていてもまぬけ面に見えてきて仕方がない。これはこれでものすごく怖い「すりこみ」だと思う。
ただ、そうやって私に植え付けられたイメージを頼りに言えることは、アメリカの軍産官の複合体を中心としたシステムが完全に構築され、たとえそのトップがただの犬好きで凡庸な南部の男だったとしても、このシステムの運営にはまったく支障がなくなってしまったことである。本作と同時期に公開された『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』を観ていて感じたことだが、かつては頭のきれるエリートが国の要職に就いていたが、ケネディ政権の頃と今の閣僚を比較すると、今はむしろ凡庸な人物がトップにいたほうがへたに改革などを断行されず、システムを安定して稼動させるのに都合がいいのかもしれない。そう考えると、本当に討つべきはブッシュではなく、そんな「無能な」ブッシュでも大統領が務まるように稼動しているアメリカの(「現代社会の」とも読み替えられる)システムなのだと思う。賢い人間だとは思うのだが、ムーアがそのあたりを本当にわかっているのかが、彼の目指す政治的ビジョンがわからないのと同様、いまいち見えてこない。
マイケル・ムーアについて唯一信頼できることは、彼の関心が常に自分の故郷であるフリントに向かっていることだ。GMの工場が撤退したおかげで、失業者で溢れかえるシャッター街になってしまい、復興もままならず荒廃の一途を辿っていく都市(ただ実際に今でもそこまで荒廃しているかは別として)を目の当たりにしたら、「成功への道」「チャンス」「自分の道は自分で切り開く」といった「アメリカ産」の言葉がいかに空疎なものに映るだろうか。彼を育てた町フリントを食いつぶしていくものは一体何なのか、彼の出発点は至極正当なもので、それは感情のレベルでなくとも理性のレベルで十分に理解できる。
メイクアップをする閣僚の映像やフリントの徴兵官の行動を追う部分など、相変わらずムーアの着眼点は面白いと思う。とはいっても、カンヌのパルムドールは賛否両論あったとしても常に先鋭的なものに受賞してもらいたいという気持ちがある。前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』よりも洞察力が鈍くなり、デビュー作『ロジャー&ミー』ほどアメリカ社会の姿を克明に映し出さない本作は、映画としてそこまで優れているとは思わない。そこまで政治的に偏っているとは思わないが、だからこそ『ゆきゆきて、神軍』のような被写体への切迫感もなく、芸術性は薄い作品だと思う。
映画は感性に訴える部分が多いジャンルだが、政治に関しては生身の社会を扱うものなのだから感情レベルで左右されてはならない。そのような意味で一本の映画で感情的に動かされ、それだけで投票行動を動かすのは慎むべきである。選挙権がどうして成人にしか与えられないのか、もう一度その意味を考えてほしい。現代大衆社会での選挙の決め手は、イメージ戦略などの感情的部分への働きかけというのはある意味常識なのかもしれないが、それを常識として受けとめ、選挙を通して政治に参加することの根源的な意味を忘れてしまっていることを反省しなければならないと思う。そうでないと、本当に討つべきであるシステム、言い換えるなら「強者の論理」に呑み込まれてしまう。ムーアについても、理性に訴えかける部分は好きだが、今回で言えば議員に署名を迫るなどの軽々しいパフォーマンスの部分、感情レベル・情動レベルに働きかける部分は、撃墜した可能性が濃厚なハイジャック機の乗客たちを英雄として顕彰する「アメリカの物語」との類似性を感じ、好きになれない。私が生きていくうえで警戒しているのは、多くの人が感情レベルで同じ反応を示したときである。(たとえ「ひねくれ者」「つむじまがり」と後ろ指を指されようとも)
それでもブッシュが落選すれば、少しは世界の展望や未来が開けてくるのかもしれない。しかしそれよりも、今回の大統領選において、イメージ戦略や一本の映画だけに惑わされることなく、アメリカ国民一人一人が賢明な判断をもって投票をおこなってくれることに期待したい。先住民や黒人を追い出した収奪の歴史と揶揄されてはいるが、植民地期のタウン・ミーティングなど、封建的社会を脱し、国王のいない新しい形の民主的な社会を作り出したのは他ならぬアメリカなのだから。
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