[コメント] GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995/日)
初見当時は予備校生だったが、素子の独白にさんざん影響を受けたものだ。数年前の原作からそのまま持ってきてしまったラストの台詞は消せない烙印、パトレイバー1を作った人たちとは思えない蛇足になってしまったが、押井監督はよくよく余計な一言を残す。パトレイバー2の柘植の台詞であるとか。わざとそうしているのか。安全装置を最後に戻すというか、クールダウンの感覚があるのかも。
映画の素子は、おセンチだ。そしてバトーはやたらと硬派とくれば、これはもう押井版『ブレードランナー』、つまりSFの原作を借りたハードボイルドであって、SF論議をするための映画ではない。
「疑似体験であれ、夢であれ、存在する情報は全てが現実であり…そして幻なんだ」
これら的確な名台詞の数々は、的確であるが故に確実に古びていくだろう。適切であったがために、いずれは“言うにも及ばない当たり前のこと”となってしまうだろう。
優れたSFは、それが実現してしまうが故に、SFとしての役割を終えてしまう。優れた“近未来もの”に付きまとう永遠のジレンマだ。そして実現を見たときには、評価は画一化されてしまう、“あの頃にしては良くやったね”と。
だが、この作品は苗床であるはずの『ブレードランナー』と同じく、SFとして後景化した瞬間、ハードボイルドとして前景化する。未来においては、“現在のハードボイルド・ドラマ”たりえる。それは、この“的確な予言”にして“未来の常識”である諸々の台詞を丁寧に繋いでおけばこそ可能なことなのだ。そしてハードボイルドの一環と認識されることで、この“言うにも及ばない当たり前の常識”の数々は、ついつい口にしてしまいたくなる“台詞”たりえるのだ。
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