[コメント] ゴジラ FINAL WARS(2004/日)
んなぁこたぁ糞も承知で観に行った。何しろミニラが出るってんだから、期待しろってのが無理な話だ。小学生だった頃、ゴジラの「シェーッ!」には何とか我慢出来た私も、さすがにミニラの姿かたちは勿論、存在すら認める訳にはいかなかった。そう、小学生レベルでゴジラシリーズに見切りをつけたんだ。だけどね、それでも観に行っちゃうのがゴジラシリーズだったんだ。
ここにコメント(特に熱きコメント)を書いている諸氏の念頭には、必ずといって良いほど54年の第1作が大きく存在していることだろう。但し、それを当時リアルタイムで観たというようなベテランは希少になっている。この50年という長きに亘ったシリーズの内、皆さんのファーストコンタクトはどの作品だったのだろうか?
私は幼児の頃の『怪獣大戦争』(1965)辺りが記憶に残っている。そして小学校低学年という一番の旬の時期に『怪獣総進撃』(1968)を迎え、宝物だった「怪獣図鑑」の怪獣データをボロボロになっても手放さなかった。
しかし、衝撃は中学生の時にやってきた。映画少年してた私は有楽町の日劇でリバイバル公開された『ゴジラ』を観た・・否、文字通り日劇を襲撃したゴジラに踏み潰されたのだ。その瞬間の館内の観客は一様に天井を見上げたのだ。この衝撃は今もって忘れることは出来ない。(これは私の自慢だ。日劇が無くなった今ではこの経験は絶対に出来ないからね)
ゴジラやアンギラスを『ウルトラマン』のバルタン星人やピグモンと同列に見ていた少年には衝撃的過ぎた。そしてゴジラシリーズこそ邦画をダメにしてしまった元凶とみなすようになる。
どうしてゴジラシリーズはお子様向けに変質してしまったのだろう?私のように怪獣のアイドル化に狂喜した怪獣少年がいた責任は免れない。しかし、東宝は安直なあまりにも安直な作品を連発し昭和ゴジラは自滅していった。そして平成ゴジラ〜ミレニアムとマニアが喜びそうな「ちょっとだけリアル感」を打ち出した作品を発表したかと思うと、再び以前のお子様映画に堕ちていった。中には金子ゴジラのように個人的に大好きな作品もあるが、所詮は『ハム太郎』との併映であった。東宝はゴジラ=お子様というマーケティング方針に変更は加えなかった。
どの時期にゴジラシリーズと出遭ったかでその温度差はあるだろう。だが、ここでコメント書いてるような「マニア」連中にとっては、「リアル感」はもとより「テーマ性」が重要なのである。本作では第1作目のスタッフに特別のオマージュを捧げている。そこまでされたら期待は否応なしに高まってしまう。だが、どうだった?
私が見せられたのは怪獣プロレスとワイヤー多用のアクション映画だった。違いますか?私が怒っているのは第1作目に敬意を払うのであれば、「テーマ性」にこそ敬意を払い真摯な態度で「反戦」なり「核」なりといったテーマを描くべきではなかったか?この監督に『ゴジラ』に加え『第五福竜丸』を観てもらいたかった。そうしたら、こんな呑気なプロレス映画を作れる訳はない。
やはり我々は東宝のマーケティング対象にはなっていないらしい。一部の外野でウンチク垂れ流しているマイノリティに過ぎないのだ。米大統領選挙で投票権も無いのに大騒ぎする外国メディアと似たようなもんだ。所詮我々の声は届かない。
しかし、そんな苛立ちももう終わりだ。東宝に言わせればコレで最後らしい・・・
だけどなぁ、ゴジラっていう金の成る鉱脈を見つけた東宝が、そう易々と手放す筈がないじゃないか。本当にコレが最後だなんて私は絶対に信じていない。パチンコ屋の古びた花輪のようにまた数年後には「新装開店」するのだろう。だいいち、こんなプロレスアクション映画が最後ではあまりにも、あまりにも哀しすぎる。
PS,最後にアンギラスの勇姿と菊川怜の美脚に★2をプラスしておきたい。
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