[コメント] Shall we Dance?(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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僕は、日本版で役所広司が演じるこの主人公の肝は「気恥ずかしさ」にあると思っています。彼はとにかくいつも気恥ずかしい。いや、もちろん今作のリチャード・ギアだって恥ずかしがってはいます。だけどそれは「社交ダンスをやっていることが恥ずかしい」のであって、「社交ダンスをやってる自分が恥ずかしい」わけじゃない。もっと極端に言うなら、役所広司の場合は社交ダンスをやっていない時ですら自分自身を気恥ずかしがってる気がするんです。「自分だってスポットライトを浴びるような場所には立てるんだよ、立とうと思えば」なんて思いながら、同時に「いやいやいや、でも僕なんかが出たら笑われるよ。きっと上手く踊れても笑われるよ」と思ってしまう、微かな自信と裏返しの後ろめたさ。そして更に、それをあまり表に出さずにちゃんとした大人として社会生活を営んでいる切なさに「きゅーん」とくるわけです。そんな引っ込み思案な人たちの代表選手がスポットライトを浴びることに「ぐっ」とくるわけです。
しかしながらこれは正に国民性の違いってやつなんでしょう。今作のギアは全くと言っていいほど切なくない。これは経理課長と弁護士っていう職種の違いだけじゃない。もっと根本的な性格の問題で、ギアは気恥ずかしくなく、当然後ろめたくないんです。だから切なくないんです。だから今作は本来だったら2点とか付けちゃう作品のはずなんです。「アメリカ人にはわからない大事なツボがあるのだ!」みたいに切り捨てる作品なんです。
ところがねぇ、これが何故だか面白かったんだ。「切なさ」が抜けた部分に「格好良さ」がドボドボと注ぎ込まれたことで、「ペーソス」の映画だった日本版とは全く異なる「サクセス」の映画になってたんです。細かく言うなら、日本版が「マイナスにいた男がプラスに転じる映画」だったのに対し、今作はギアのセリフにあったように「プラスにいた男がより高みを目指す映画」になってるんです。その胸の張り具合はやっぱり非常にアメリカ的で、だからこそジェニファー・ロペスとの深夜のダンスシーンはセックス以上にセックスっぽく扇情的で、またエスカレーターを昇ってくるギアはありえないほどニヤケダンディなのです。ウソみたいに完成されたダンスシーンや何の衒いもない格好つけシーンですが、そこに至るまでの努力で主人公が得たものは、それくらい判りやすいサクセスでなくてはならなかったんです。正直その格好よさにはバカバカしさすら漂っているのですが、僕自身がそのバカバカしさに横っ面を張り飛ばされて屈してしまったんだからしょうがないです。ベタをベタのまま押し切れる力ってバカにできないんだな。
ただ一点、アメリカ的になったことでイヤだったのが地下駐車場での奥さんとの喧嘩シーン。日本版ではあの辺りって割とサラリと流していて、その品の良さってけっこう好きだったんです。それを改めてミッチリ描かれてしまうと、予想していたとはいえちょっと食傷気味。予定調和の中でイライラさせられるっていう展開は、短絡だしやっぱりあまり観たくないです。
とはいえ、上記のように全く違ったジャンルの映画になってしまったことを思えばそれも仕方ないのかな。クライマックスの「大団円」に至るための挫折としては、あれくらいでないと満足してもらえないんでしょうね。ラストなんてダンスホール中がタキシードのギアを囲んで「わぁー」「いぇー」ですからね。ちょっと考えると「何だよそれ」なクライマックスなのですが、それだけに今作の有り様をよく表したシーンだなぁと思います。
とにかくですね、あの、あんま言いたくないんですけど、あの、えーと・・・ギ、えーと、ギアがですね、えーと・・・、
ギ、ギアが格好良かったんだよ!わぁぁぁ!覚えてろよ!
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