[コメント] 埋もれ木(2005/日)
映画は現実と虚構を行き来する特別な「乗り物」だ。そして我々は、小栗康平が梶を執るその舟に、見事「ノセられる」。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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自転車、自動車、車椅子。スケボー、笹舟、馬、ラクダ。これは「乗り物」の映画である。
前半、三重の山村に生きる人々の日常の断片がリアルに冗漫に描かれる。魚喃キリコにインスパイアされた少女達によって限定的に共有される空想物語が、紛れも無い虚構として、淡々と客観的に描かれる。
それが後半で、大きく覆される。
「埋もれ木」の発見を契機として。
冷静に考えれば在り得ない空想世界が、リアルな日常の延長線上に突如として現われ、それが紛れも無い現実として客観的に描写される。生活者たる村人全員がそれを現実として何の疑いも無く受け入れることによって、映画的虚構に過ぎぬ「埋もれ木」の地下道が我々観客にとっての現実=「実在」に肉薄するのだ。
我々は乗せられる。虚構と現実の狭間をたゆたう。
昨今、映画と嘘について映画は多い。しかし、その中でも、本作の語り口はとりわけ新鮮だ。
もう一言。
日本的幻視表現を即、西洋かぶれのオリエンタリズムと決め付ける風潮はいい加減払拭されねばならない。勿論、そういう作品がないわけではないが、個別に見極めることは肝要だ。
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