[コメント] 埋もれ木(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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日常の中の距離が生むファンタジー。
それは、■砂漠を何千年の昔から、何百キロもの旅し続けた異国の民の乗り物であるラクダ。■まだ見ぬ世界にまで届けと、幼い希望を乗せながら決して海には行き着くことのない笹舟。■触れ合うことなく転がった紅白の玉に重ねられる、何千年の歴史を持つであろうチベットの象形文字。■数百メートルの深海から引き上げられ、やがて食卓に並ぶ犬のような顔をした怪魚。■宣伝カーの脇に張り付くように描かれ、雨中の街頭を引きずり廻されるクジラ。■雨上がりの路上に点々と続く、少女によって切り落とされたアジサイの花弁。■息子との距離を測りながら引越しをもちかける発明家の父親と、母親との心の距離を縮めることのできない少年。■娘との永遠の別れをきっかけにタクシー運転手となりながら、ふたたび木の息吹によって喪失の穴を埋めようとする建具師。■道路工事という人為によって動かされる、決して動いてはならぬはずの生活の場としての家。■年に一度だけ、しかし止むことなく延々と繰り返されてきた地蔵祭りと回り舞台の披露。■卵からその姿が思い描かれる、遥かマダガスカルに400年前まで生息したとう怪鳥エレファントバード。■3000年の過去から蘇った巨木の群れの間を上昇するクジラ灯篭と、さらにその上に集う人々の頭上をたゆたう赤馬灯篭。
そして、少女たち3人は不思議な吊橋の上、それぞれの向かうべき方向を目指してファンタジーの世界を後にする。でも彼女たちは、いつでもこの世界にもどってこれるのだ。ファンタージーは、私たちの生活の中に存在しているのだから。
またしても小栗康平監督は、その圧倒的な映画力で日常に潜む夢をトリックのように描いて見せた。ただ、小栗監督の作品にいつも感じることなのだが、映像を操る巧みな手腕と、その自らの表現によせる絶大な自己信頼性の中に「人」の存在感が埋没してしまい「人間」や「心」といった気持ちの気配が希薄に思えて仕方がない。
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