[コメント] 醜聞(1950/日)
クロサワの露文フェチの極み。王冠つけた桂木洋子の可愛さは映画史上屈指。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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クロサワ映画は恥ずかしい。濃淡の差はあれどチャンバラ娯楽作も含めどれも「中二病」なファンタジーであり、作風は正反対なキノシタとライバル関係にあったというのも恥ずかしさを競い合ったからだ。本作も人としてあるべき理想を謳って力強い。
本作の志村喬はゴーゴリの主人公のエッセンスの塊。風に飛ばされる帽子を追いかけるラストのイロニーなどそのものである。娘の桂木の造形はソーニャやキティの延長線上にあり、志村に対して読心術まで使い、聖者として倫理的要求を突きつけ続ける。
本作の白眉は志村喬と左卜全の「蛍の光」の豪華デュエットだろう。「来年こそやるぞ」と決して成せない理想を謳って客も酌婦もみんな泣き出すという切実なファンタジー。嫌味がないのは年越しに厳粛になる日本人の生理を捉えているからだ。
ただそこで三船敏郎が宝塚歌劇団のような演出で列に加わり唱和するカットこそが恥ずかしい。すでに脇役なのに目立ちすぎだ。彼にだってどこかに社会人としての倫理的葛藤があるはずなのにただの善人なのも食い足りない。スターシステムの弊害だろう、単に邪魔であり、このようなスターを排除できた成果が『生きる』や『生きものの記録』に違いない。もうひとりの中北千枝子のような千石規子がとてもいい。
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