[コメント] どん底(1957/日)
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ロシアの文学者ゴーリキの「どん底」をベースに、場所を日本の江戸末期に持ってきた作品。
私にはロシア文学に傾倒していた一時期があり(大体こんなのは学生時代に決まってる。私も多分に漏れず)、「どん底」もその時に読んでいた。非常に暗く、救いようのない作品だった。一体これのどこがそんなに受け入れられるんだろう?なんて思ったものだが、不思議と心地よさのようなものも感じたものだった。舞台劇はさすがに観てなかったけど、これを日本人で作れるのかな?
一見して気が付いた。原作は帝政ロシアの末期、つまりロシア帝国の爛熟期を舞台としている。芸術的に完成された時代ではあるが、この時代は徐々に全てが停滞していき、やがて腐敗が全体に広がっていく時代。そんな時代が確かに日本でもあったんだと言うことに。まさに改革を待つばかりとなった受け皿として、ロシア帝国末期と江戸末期は良く似ていた(違いはロシアの場合はナポレオン戦争などでいくつかの刺激を受けていたのに対し、日本は気候の温暖な島国の中で260年も孤立して過ごせたと言うこと)。寒さの描写さえクリアできれば、確かに描写可能。
この寒さという点に関しては、黒澤監督、面白い描写をしてる。原作だと、外が寒すぎるから、何とかして暖まろうと集まってくるのだが、何故か本作品の場合、外の方が暖かそうに見える。むしろ光の差さない黒ずんだ長屋の中の方が寒々しい…敷衍してみると、外の寒さというのは、物理的な寒さよりも、社会に受け入れられないと言う意味での寒さだったのかも。身体は寒くとも、ここは傷をなめ合うような人間がいる。長屋の中の方がむしろ暖かいと思えているのか。人情的な吹きだまりとしたのは黒澤監督の慧眼と言って良いだろう。
彼らが社会に受け入れられないと言うのは会話の端々でも窺える。彼らは社会の常識とはやや違ったところに身を置いているので、殺人に対する禁忌というのが殆ど感じられない。人を殺さないのは、そうすれば自分が損するから。それだけの価値観でしかない。「運悪く近くに包丁があった」というだけで人を殺してしまいかねない人間ばかりが集まるのがこの長屋だったのだから。
世間では爪弾きにされるような人間ばかりだからこそ、負の意味で連帯感が生まれる。彼らがここが居心地が良いのは相手を思いやる心からではない。ただ“ここに居て良い”。と言う価値観のみ。牽強付会で大変失礼だが、某大手掲示板を眺めていて、「ここは心地が良い」という書き込みを目にした。なるほど、負の要素を出してしまえるからこそ、ここにいて良いからこそ、心地良いんだ。と思えたことがある。負の要素で集まる人間の連帯感とはその点にあるのかも知れない。それは確かに私自身の中にもある。人に認められないと言うことに苛立ち、自分の居場所を必死になって求める感情は多分、人より強い。
それだけでこの物語を終えても良かったのだ。後年黒澤監督が作り上げた『どですかでん』(1970)はそう言う作品だったから。だけど、この作品と『どですかでん』とは大きな違いが一つある。ここに異邦人が一人入り込んできたのだ。この場所には似合わない常識を持った(あるいはそのふりをした)老人、嘉平。彼の存在は長屋の中に一つの波紋を投げかける。
嘉平は救われないが故に連帯していた彼らに、希望というものをプレゼントする。希望は人間にとっては大変重要なもので、希望を失った人には大変良い薬ともなるが、同時に毒まみれの彼らにとっては刺激が強すぎた。案の定、それまで危うい所で均衡を取っていたバランスが一気に崩れ始めた。その崩れたところから物語は始まったのだ。
嘉平の言葉を受け入れた者達は、皆「これではいけない」と言う思いを持つように至り、どうしようもない現実が何か変わってくれることを期待する。だが、それはここではプラスになることはなかった。
いつ起こっても不思議はない事件は、結局彼の介入によって即発されたと思える。捨吉とお杉、かよの三角関係はついに亭主殺しという形で終結。確かにこれはいつ起こってもおかしくなかったし、嘉平は直接にはこの事件には関わっていない。だが、彼が会話を交わす人間は誰もが心に暖かみを覚え、逆にそれが彼らを傷つけることになってしまうと言う残酷な話がここで示されているように思える。
そう考えると、これはあまりに残酷な話だ。嘉平は何も悪くない。むしろ優しさをもって彼らに接しているのだ。その思いやりが結局皆を駄目にしてしまう。 結局嘉平の言葉を受け入れた人間と、それに関わった人間は退場し、最後に嘉平はこの長屋を去る。残酷な現実というものを残して。
…いやあ、暗いなあ。
だけど、この作品がその暗さを超えて一級のエンターテイメントとなっているのも確かな話だ。死を目の前にすることに慣れてしまった人間達は、その中でもエネルギッシュさを発揮する。後ろを向いても仕方がないし、未来もない。だったら今を精一杯幸せになろうじゃないか。そんな開き直りのような面も見せてくれる。どんな悲惨な事件があっても、それを茶化し、あっと言う間に忘れ去るのは彼らなりの知恵であり、生き方でもあるのだ。最後のあの歌は、結局“今”というものにしがみつく彼らの思いそのものだ。 ラストの台詞「なんでえ。おわりかよ」は、唯一残る“今”さえも奪い取られようとする人間の叫びだ…しかし、彼らはこれもやはりあっと言う間に過去にしてしまうのだろう。時が止まらない以上“今”はやってくるのだから。
ところで本作は殆ど長屋、しかも大部分は室内ばかりを撮っているのだが、それを全然飽きさせないのはやはり黒澤組の絶妙のカメラ・ワークあってこそ。別アングルからのショットを重ねることによって、あの狭い長屋を通常の舞台よりはるかに広く、そしてダイナミズムを演出することに成功させている。
一般的な評価はともかくとして、思想、技術、物語の全てが本当に高水準にまとまった、大変素晴らしい作品だと私は思っている。
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