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[コメント] 隠し砦の三悪人(1958/日)

黒澤自身、理屈抜きの徹底した娯楽作品として制作したというが、僕からすれば、こちらの理屈が入る余地の無い娯楽作とは、むしろ剥き出しの理屈、セオリーだけで作られるべきもの。百姓の強欲さや不潔感の、観客の不快を誘う写実主義的な作家性は贅肉だ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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三船演じる侍大将が、あの百姓二人が苦し紛れに口にした逃走ルート程度の案を思いつかなかったという所にご都合主義をまず感じるし、あの百姓二人の、異臭が漂ってきそうな不潔感。しょっちゅう唾を吐くのも鬱陶しい。彼らの愚劣さや強欲、浅知恵に基いた行動が引き起こすトラブルで筋を展開する手法も不快。昔はこれが娯楽のスタンダードな(つまり観客に理解し易い)手法だったのかも知れないが。今は却って『デスノート』みたいに或る程度頭の良い連中だけで話を回す方が主流のような気がするな。その方がストレスを覚えずに素直に楽しめる。隔世の感というべきか。

そもそも隠し砦には志村喬以外にも若い二人の侍がいる訳だから(旅立つ一行を見送る場面に姿が見える)、彼らを残して百姓二人を連れて行く必然性がどこにあるのか疑問。追っ手からの時間稼ぎという事か?訳の分からない百姓を姫の共に付ける方が危険な気もするのだが。

この映画は、良くも悪くも雪姫。台詞の末尾に一々「!」が付いているかのような、無理に野太い声で力んでの発声が笑いを誘う。アイシャドウも眉の描き方も三日月状に吊り上げられ、鞭を手に大の字にポーズを決める女王様風の演技でいながら、やはり声は若くて初々しいというギャップが良い。普通ならその大根ぶりに怒りを覚える所だが、何も考えずに観て楽しむ映画だから、まぁ良いかと。

姫の容姿や仕種だけでも大仰なので、映画の大部分で聾唖の振りをさせていたのはちょうど良かった、というか、もっと台詞を減らしても良かったくらいだ。それに、何も聞こえず何も言えない振りをしてただ事態を見守っている事しか出来ない立場に姫を置く事で、世の中の愚かさや醜さ、ままならなさを目の当たりにさせるという効果も上げており、姫の最後の、水戸黄門や遠山の金さん風の台詞にも説得力を与えている。

ただ、『七人の侍』では侍と百姓の間に厳然とした区別があったにも関わらず、戦いを共にするという事を通しての絆がしっかりと感じられたのに対し、この作品では、百姓二人を騙し続けた挙句、最後に身分を明かした場面では、嘘をついて利用していたがまぁ金をやるからそれでチャラにしろ、という結末。一番おいしい所は「裏切り御免!」の名台詞まで貰った田所兵衛(藤田進)に持って行かれてしまっているし(それに先立つ三船との槍での決闘も珍しい上に、陣幕を切り裂く派手さで飽きさせずに見せる)。鑑賞後の、一応は楽しめたのに、どこか虚しい気分は、そうした百姓のご都合主義的な扱いのせいではないか?

(評価:★3)

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