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[コメント] グッドナイト&グッドラック(2005/日=仏=英=米)

娯楽作品も、そしてこの映画のような問題提起も、どちらも扱うジョージ・クルーニーの株が、僕の中でひとつ上がった。ドキュメンタリー的な雰囲気が見事な、ジャーナリズムの意味を真摯に問う秀作だ。(2006.06.03.)
Keita

**ネタバレ注意**
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 ジョージ・クルーニーの初監督作『コンフェッション』は、彼が一緒に仕事をしたコーエン兄弟スティーブン・ソダーバーグの亜流でしかない失敗作だったが、今回の『グッドナイト&グッドラック』はものすごく肝が座っていた。言論の自由について真摯に問題提起をする秀作である。

 マッカーシー議員の映像など、当時の映像を入れてリアリティを出し、それに合わせたであろうモノクロ映像が雰囲気を出す。ドキュメンタリータッチで描かれるこの映画、映像において何よりも見事だったのは、生放送のライブ感を表現したことだ。その緊迫した様子がスクリーンを通して伝わってきた。

 マローを演じたデビット・ストラザーンの演技も同様だ。マッカーシーに挑戦状を突きつけた放送の様子は、いかに差し迫った状況かを、彼が演技で表現してくれた。映し出される顔のアップ、よく見ると、口元が震えているのだ。この映画での重要な場面とは、生放送の場面である。そこで彼は基本的に座っているため、表情の演技が重要になる。それをしっかりとやっていたのだ。クルーニーは自らマロー役を演じようと最初は考えてもいたようだが、ストラザーンを抜擢して正解だった。

 クルーニーのような『オーシャンズ11』などの娯楽映画もこなす男が、こういう映画もきっちりと作ったことにも意味があると思う。マローは、「テレビが娯楽と逃避だけの道具では価値がない」と、政治家やスポンサーの機嫌を取っただけの形へ警告をしたが、映画というメディアにも同様のことが言えると思う。娯楽映画だけではいけないのだ。政治的主張を述べる映画もあってしかるべきだ。もちろん、どちらも必要であると思う。だた、それが商業主義的なものばかりになってしまったら、マローの言うとおり価値はなくなるだろう。

 クルーニーは、あるときは娯楽で僕らを楽しませ、あるときは自らの主張で僕らに考えさせる。それは映画人として、素晴らしいと感じた。

(評価:★4)

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