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[コメント] ブロークン・フラワーズ(2005/米)

まだ見ぬ父を探しに出たらしいまだ見ぬ息子を探す父、という、二重の捜索、二重の不在。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、ピンクの手紙はそれが目立つピンク色であることで、他の手紙と混同されずに観客の目に捉えられていくのだが、この色を手がかりとして女たちの許を訪ね歩くドンにとって、ピンクは却って混乱の元にもなっている。方々で目にするピンクのせいで、どの女が自分に手紙を出したのか分からなくなるのだ。

ドンは劇中で名をドン・ジョンソンと間違われるが、これは刑事役で知られる俳優の名であるらしい。またドンがマーク・ウェバーに食事を奢ろうとする場面でも、「私はゲイでも警察でもない」という台詞があった。謎が解決しないこの映画は、探偵物のパロディでもあったのだろうか。どの女が自分の息子を生んだのか分からない、つまり自分の過去の人生と今との繋がり、因果関係が分からないという謎と空虚感。

この空虚感は、主人公たるドンが徹底的に受動的であることにも表れているし(息子の捜索に出たのも、探偵気取りの友人からしつこく促されたせいだ)、かつてコンピューターで儲けたというドンの家に、コンピューターが一台も無いということも、過去との断絶を感じさせる。金には困らないという充足感は、却ってドンの生活の空虚さを際立たせている。

息子探しの旅では、ドン・ファンとしてのドンの中にある欲望の残り火も覗いて見える。最初に再会したローラの家では、その娘であるロリータが裸体を晒す。動物コミュニケーターであるカルメンの仕事場では、若い女の助手が太腿を覗かせる。だが、ローラとはベッドを共にしたドンだが、旅が進むにつれて女たちとの距離の方が目立つようになる。最後に、一人死んだ女の墓で泣くドンの姿からは、むしろ冷たい墓石の方が彼に温かみを与えてくれているのではないかという皮肉さを感じないではいられない。

ドンにとって息子とは、「過去」の女との繋がりであると同時に、未だ見ぬ存在としての「未来」でもある。終盤で、息子と思しき青年にサンドイッチを奢ってやったドンは、哲学に興味があるという青年からアドバイスを求められ、こう言う。「過去はもう過ぎ去った。未来はどうにでもなる。肝心なのは今だ」。だがこの青年は、「俺を父親だと思ってるんだろ?」と迫るドンから逃走する。「息子」の逃走は、「今」の逃走でもあるだろう。

逃走する青年を茫然と見つめるドンの視線の先に現れる、車に乗った、先の青年と同世代の青年。先のピンクがそうであったように、「息子」らしき存在が現れる、つまり手がかりが現れることは、却ってドンを当惑させるのみだ。茫然と立ちつくすドンと、彼の周囲に伸びる、それぞれ方向の違う道。この道が「未来」の方向の定まらなさを感じさせるのと同じように、ドンが訪ねる過去の女たちがそれぞれ全く性格が違うのも、ドン・ファンとしてのドンの、欲望の方向の定まらない生き方の反映だろう。実に豊かで、かつ何も無いドンの人生。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)赤い戦車[*] ぽんしゅう[*] りかちゅ[*]

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