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[コメント] 東京物語(1953/日)

ディジタルリマスター版で再鑑賞。ロードムービーでありながら「移動」を一切描いていないことが強く印象付けられる。そして熱海行の意義。
緑雨

物語は尾道で始まり、描かれない大阪を経て東京へ、いったん熱海、東京に戻って、再び大阪を経て尾道に戻って終わる。が、移動の描写はほぼ皆無だ。都内を観光バスで回るシーンくらい。画面が切り替わると、距離も時間も一気に跳躍する。この感覚が、家族の心情の距離感とシンクロしているようで興味深い。本当はとても離れているのにもかかわらず、すぐ近くにいるような。その一方で、すぐそばにいるのに、心が離れているような感覚。

そして、熱海への小旅行が挟まれていることの意義。杉村春子山村聰と画策して両親を熱海に行かせるのだが、二人はすぐ厭になって帰ってきてしまう。厭になった直接のきっかけは、旅館の酔客が夜遅くまで騒いでいて眠れなかったから。だが、杉村や山村はそこまで意地悪をするつもりで熱海に遣ったわけではない。意図に背いて結果的には酷い目に合わせることになってしまう。この無意識の構造を創出することによって、疎外が社会化されるのである。このあたり、本当によく考えられている。

この他、冒頭、三宅邦子と長男がぐだぐたとやり取りしながら家の中を慌ただしく移動する様を、間口や廊下に正対した固定カメラの切り返しで見せる。これによって家の構造を印象付ける手管が実に手際よく、感服したりもする。

一方で、杉村が下町言葉だったり大坂志郎が関西弁だったりするのは、尾道で生まれ育った兄弟姉妹という設定からするとさすがに不自然で、やややり過ぎに思える(小津は大坂の関西弁の完成度に満足しなかったらしいが)。

と、構成や隠された演出にばかり触れてきたが、実はもっとも印象深く残っているのは、笠智衆が物干し台で膝を抱え佇む静的な姿の侘しさだったりする。

そしてここまで書いて、原節子に全く触れていないことに気づく。言われるほど彼女の映画ではないのかもしれない、という気がしてきた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)3819695[*] 煽尼采 けにろん[*]

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