[コメント] プラダを着た悪魔(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ところ違えど、「働く」っていうことは、まあ、おおむね毎日こんな感じですよね? ミランダになったり、アンドレアになったり、エイミーになったりしながら右往左往の日々を送っています。
アンドレアは、「能力」は高かったけれど、ファッション業界でやってゆく「才能」が、(結局のところは)なかったのだな、と言う話だと感じました。
「才能」ってどういうことかって言うと、その対象に対して、どれだけ「デメリット」を払えるかと言うこと、どれだけ「狂っていて」どれだけ「愛しているか」ということ。このストーリーの中で、とても好きなところは、ナイジェルが「サッカー部に行くと偽って、お裁縫部に行っていた」と言うところと、「フランスで手に入れた洋服をあげるわ」と言われたエイミーが、本当にうれしそうだったところ。これが、「才能」と言うものだと思う。「才能」の前では「能力」は二の次なのだ。意外と逆のように、誤解されがちだけれど。
アンドレアは、「ファッション」の、「メリット」に魅かれて、知識を増やして行ったけれども、才能を開花させることはなかった。「才能」は、夫婦関係に似ている。相手に「愛している」と言われれば、もちろんうれしいし、そのための努力はするけれども、相手に「愛している」と、言われなければやっていけないのなら、その関係はいまいちだ。
ある種「我」を捨てる行為なのだ。アンドレアは、「エイミーを差し置いて、”わたし”が選ばれるなんて」と、躊躇していたが、最後に選んだ、これからの新しい職場では、同じ事があっても、絶対にそんなことは言わないと思う。それは、相手を蹴落とすとか、自分がどうとか、そんなレベルではないからだ。自分がいる場所で、自分のベストをつくす。それはつらいことだ。それを喜んでできることが、「才能」だと思う。
エイミーは、「私は仕事が大好き」「私は仕事が大好き」と、マントラを言い聞かせていた。その効果は確かに上がっている。彼女は仕事が大好きだ。
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