[コメント] プラダを着た悪魔(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「あなたは私と同じよ」
多かれ少なかれ、ある程度仕事をしていると他人を蹴落としたり踏み台にしたりということがある。ミランダはそれを自覚した上で、理想の仕事を完遂しようとしている。だが、アンディは無自覚で、「エミリーのことは仕方がない」と本気で思っている。だから、ミランダの言葉が理解できない。
この作品が「うまくやったなぁ」というか「卑怯だなぁ」と思うのが、このアンディを無自覚のまま転職させたところで、アンディがエミリーを踏み潰して「パリ行き」を手に入れたという出世競争の「エグさ」を、うまーく包み隠してるのだ。だから、アンディはファッション業界で成功しているのに「悪魔に魂を売っていない」という絶妙の立ち位置を与えられ、ラストのミラー紙への転職も何となくサワヤカに見えたりするのだ。
それもこれも、全部あの交通事故のおかげなのである。もしエミリーが事故に遭わなければ、この映画は相当エグいことになってたはずだ。アンディはエミリーに直接「私、あなたの代わりにパリ行きますから」と言わなければならなかった。それはつまり「あなたは私より無能です」という宣言で、そんなことを他でもないアンディから言われればエミリーは傷つくし、その場でヒステリーを起こすかもしれないし泣き崩れるかもしれない。それでもアンディは、そんなエミリーに背を向けてパリに行く。アンディだってエミリーの夢や希望や苦労をよく知ってるから、そんなことを言えば自分もけっこう傷つく……。
私が見たかったのは、そんな風に「エミリーを踏み台にした」ことを自覚したアンディが、その葛藤と痛みを克服した上で何らかの決断を下す展開。その、どうしようもなく剥き出しになる人間の感情だったのだ。だが、ここを描いてしまうと「アンディ、自分勝手!ひどーい(泣)」という部分が露骨に出てしまうので、作品そのもののオシャレ感がなくなってしまう。それを避けるために、映画は事故を起こす。
この映画は、物語のもっとも「痛い」部分を、交通事故という偶発的なアクシデント(つまりは脚本家の「神の手」)によって上品に包み隠した。展開上避けて通れない「他人を傷つける」という行為を主人公に「背負わせない」ことで全体のスタイルを整え、作品をオシャレでキレイに見えるように仕上げた。
『プラダを着た悪魔』──まるで人間の本性を、きらびやかなプラダでドレスアップして見せられたようで、何かちょっとアレな感じです。
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