[コメント] 父親たちの星条旗(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いきなりこんなことを書くのも何だが、4点はつけたものの、実は期待ほどではなかった。
イーストウッドは、数々の過去の作品において、”常識”を一歩踏み出し、世間一般が当然のものとして受け入れている価値規範に風穴を開けてきた。彼の作品は、典型的な保守/リベラルの視点では説明しきれない位相からの切り口で、人間を社会を描き出す。それは、私刑であったり、不倫であったり、安楽死であったり・・・それを認めることはタブーだとされているもの、それらを漫然と見過ごすのではなく、あえて踏み込むことを怠らなかった。それこそが、自分がイーストウッド作品を好きな理由であり、同時にまたイーストウッド作品が一般ウケしない理由でもあろう。
そういう意味で、この映画はやや物足りない。戦争で深い傷を負う若者、国家に費消される若者、というモチーフは、もちろん見逃せない重要な視点ではあるが、これまでに散々描かれてきたテーマである。そこから一歩踏み込んで何を喚起できるか、それをイーストウッドには期待していたのだが・・・
「父親たちの〜」と銘打ち、ドクの息子を語り部とする形をとっていながら(そういう原作なんだから当たり前なのかもしれないが)、形式が中途半端でその意図があまり実現されていないように思えるところも気になる。アメリカ映画は、この「息子が父親について語る」といった形式をとりたがる傾向にあるような気がするが、そこにはアメリカ人にしかわからないメンタリティが存在するのだろうか。
この映画の評価ポイントの殆どは、擂鉢山攻防戦を描いた壮絶の一言に尽きる戦闘シーンの迫力である。どうしても『プライベート・ライアン』の上陸シーンが頭をよぎってしまうのは否定できないが、『プライベート・ライアン』では何となく戦闘シーンを撮ること自体が目的化しているように感じられたのに対し、本作のそれは後半部で深く傷ついた若者たちを描くための「前提」としても必要なものであったように思う。
わけもわからない間に放り込まれ、見えないところから飛んで来る銃弾、そこかしこでたった今まで生きていた仲間が瞬時に死体へと変わっていく。時には味方の銃弾によって。
恐怖を感じる時間さえ与えてくれない阿鼻叫喚の惨状。
さらに、この場所が地球の裏側にあるオマハ・ビーチなどではなく、我が領土である硫黄島であることでもまた違った感覚が生まれる。時折、カメラは米兵を待ち受ける銃座からの視点に立ち、その映像がまた秀逸であるが、それは紛れもなく日本の兵士の視点であるということを否応なく思わされ、そこにはどのような感情が渦巻いていたのか、どうしても知りたくなる。そして、この上ない期待感の高揚を抑えきれないまま『硫黄島からの手紙』を観ることになる・・・
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