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[コメント] マリー・アントワネット(2006/米)

とっても可愛くてオシャレな風貌だったので、洗練された女の子かと思って喋ってみたらすっごいアホでびっくりした。・・・みたいな映画。
づん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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私は外見を磨くという事はとても大事だと思うし、「見た目より性格」とか言ってその言葉の上に胡座をかいているような女の子は好きじゃない。味はどちらも分からないけど、綺麗な趣のレストランと、どことなく汚い雰囲気のレストランがあったら、普通は綺麗な方に入ってみるのと同じで、やっぱり外見ていうのはとても大事だと思います。でも外見を磨く事にばかり気を取られて、中身が全く伴っていない女の子っていうのも残念な事にたまにいるんですよね。この作品、私はそういう女の子と重なってしまいました(まぁ、見る前から分かってはいた事なんですけどね。でもやっぱりこの目で確かてみたいって思う悲しい性)。

まず映画そのもののビジュアルはやっぱり最高な訳で。劇場に置いてあるフリーペーパーを見ても、コメントを寄せているのはくるりの岸田だったり野宮真貴嬢だったり、狙ってる感ミエミエの人選。それは別に悪くないと思う。何度も言うように中身が伴ってさえいれば。で、実際鑑賞してみれば乙女ならかなりの確率で虜になるような調度品やドレスに小物。そしてなんだか薄汚れた自分の肌にイラつきを覚えるほどのキルスティン・ダンストの陶器のようなお肌。あの場に立っているのが彼女だからこそ全ての物が美しく映えるんだわ…ってガックリしつつもやっぱりその映像美にはホレボレしてしまいます。

ただ、それが「マリー・アントワネット」を描いた世界だというところに少し問題を感じました。私は『ロスト・イン・トランスレーション』を観た時にすごく嫌な気持ちになりました。今作では私は嫌悪感は感じませんでしたが、私が『ロスト〜』を観た時に感じた嫌悪感と同じものを今作で感じる人は必ずいると思うのです。それを極力避ける為だったのかは分かりませんが、この作品は歴史的な要素を一切持ちません。敢えて「マリー・アントワネット」を”一人の女性”として描く事で感情移入させやすくしようとしたのかも知れないし、今の歴史的見解に疑問を投げかけたのかも知れない(こっちの可能性は低いですけど)。ソフィア・コッポラの真意はどうであれ、この作品でのマリー・アントワネットは”一人の女性”という側面から描かれています。その”一人の女性”として見たマリー・アントワネット。彼女はまさにコメント欄に書いた「とっても可愛くてオシャレな風貌だったので、洗練された女の子かと思って喋ってみたらすっごいアホな女の子」だったのです。確かにフランスに来た当時は14歳。何も分からないまま周囲に飲み込まれていった、ある意味悲劇の女の子かも知れません。でもソフィア・コッポラが描いた「マリー・アントワネット」は明らかにコレ→「とっても可愛くてオシャレな風貌だったので、洗練された女の子かと思って喋ってみたらすっごいアホな女の子」なんです。

他に絶対描き方はあったハズ。キルスティン”マリー”には、逃げ場にもなりうる”無知さ”が全く感じられなかったんですが、そこを少しでも強調したような描き方であれば、”無知がもたらした不幸”という逃げ場が出来たハズなんです。キルスティン”マリー”は無知ではなくアホ(愚か)な印象が強すぎる。それを絢爛豪華なビジュアルがますます拍車をかけてしまった感が否めません。

そう思うとソフィア・コッポラ自身もコレ→「とっても可愛くてオシャレな風貌だったので、洗練された女の子かと思って喋ってみたらすっごいアホな女の子」に当てはまるんじゃないかと疑ってしまいます。でもやっぱり”外見”の良さに惹かれて次作もきっと観てしまうんだろうなと思います。

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07.02.03 記

(評価:★3)

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