[コメント] 龍が如く 劇場版(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この数ヶ月、僕は「龍が如く1&2」ばかりやっていた。このゲームは本当に不思議なゲームで、僕の脳内では神室町がすっかり歌舞伎町を凌駕し、僕は桐生さんとしてチンピラを殴り倒し、牛丼を掻き込み、キャバクラに通い、消えた100億を追ったりしていた。荒削りなゲームではあったけれど、ひとつの擬似世界をここまで作り上げたスタッフの努力には本当に頭が下がる。
それに比べてこの映画は何だ。「ゲームという畑」で世間に勝負をしている原作に対して、今作には「映画という畑」の矜持がまるで感じられない。ここには「ゲームを食ってやろう」という気概は一切ない。あるのはただ「ゲームに食わせてもらおう」という下卑た根性だけだ。己のジャンルに誇りが持てないのなら、監督なんて仕事は捨てて田舎に帰ればいい。
今作はそれほどまでに、映画単体として成立していない。ゲーム内で魅力的な脇役であった真島をウロつかせ、本筋である錦山や由美、神宮などは辻褄合わせのケツ拭きに終始させられている。「お忍びのはずの神宮が街中をヘリで飛び回る」ことの違和感や、「爆発に巻き込まれて神宮が死ぬことで狙撃の意味が無くなる」無駄さ加減なんてお構いなしだ。要はただヘリにビビる人々や、派手に吹き飛ぶミレニアムタワーとヘリを見せて誤魔化したかっただけなんだ。「遥を連れ歩くことになる経緯」や「桐生と伊達の親近感」も同様。そこには「みんなゲームやってんだから判るでしょ?」という甘えがあるばかりで、「ゲームをやっていない人にも物語を届けよう」という思いなんて一切ない。
ならば逆に、今作がゲームファンに向かって一心不乱に尻尾を振っているかと言えばそうではない。もしそうなら救いもあろうが、その尻尾は適当におざなりに振られ続ける。
オープニングで桐生の顔が初登場するシーン、背景にはデカデカと「歌舞伎」の文字が映っていた。真島が兵隊を連れて街を歩くシーンにも同様のものがあった。ハッキリ言って台無しだ。ゲームファンは、ここが歌舞伎町ではなくそれによく似た神室町であることに興奮しているんだ。こんなもんちょっと注意して見つければ、あとはお得意のCGでどうにでもなるはずなのに、それすらやる気がないんだ。
ゲーム内で見たアイテム、ゲーム内で見た動き、それを適当に配置すればファンは喜んで帰るとでも思っているのなら、それは大間違いだ。ファンは「ゲームで得た興奮」を再度「映画というジャンルで味わいたい」と思って劇場に足を運ぶんだ。ただゲームの中身を実写で見せられるだけなんだったら、家に帰ってゲームやるよ。
とここまでこき下ろしておいて何だけど、ゲームファンの一人として楽しくなかったかと言われれば、完全にそうなわけでもなかった。おざなりではあれ、確かにその尻尾の振り方も観たいものの一つではあったからだ。ただ「本当に観たいもの、感じたいもの」はそこじゃないんだよって話だ。仏作って魂入れずだけど、仏が嫌いなわけじゃない。
実際北村一輝や岸谷五朗はかなり頑張っていたように思う。荒川良々は最高だった。真木蔵人は気持ち悪かった。登場までかなり引っ張った風間のオヤッさんが塩見三省だったとき、その安っぽさに慄然とした。声だけの渡哲也(ゲームでの風間役)の9割引価格だ。一人ドン・キホーテだ。
えーと、何の話だっけ。とにかく楽しい瞬間もあるにはあったってことだよ。ただその楽しさは、ゲームの下にコバンザメのようにぶら下がっておこぼれを拾っているだけの楽しさであり、映画を遥かに凌駕した厚みを誇る「龍が如く2」の足元にも及ばない志の低い作品であるということなのです。これ僕がゲームやってるから★2だけど、やってなかったら★1だよ。落ちのないサブストーリーなんて入れ込む前に、もうちょっとどうにかする方法あっただろうに。こんなことを続けていると、いつか映画は完全にゲームの下に置かれることになり兼ねない。恐らく三池にとってはやっつけの仕事でしかなかったんだろうけれど、そんなやっつけ仕事にもお金を払って観に来る人間がいることを忘れないで欲しい。そしてそんな映画を撮ったことを、少しは恥ずかしいと思って欲しい。
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