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[コメント] バベル(2006/仏=米=メキシコ)

嘗て否応なく世界を隔てていたものは距離だった。いま地球は小さくなり、ひとびとの距離は縮まったのか。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画は何の解決もない。悲劇は悲劇のまま終わり、事件の発生はあったがそれは解決の糸口を見つけられない。それなのに何故「愛を見いだす映画」と言われるのだろう?

唯一の望みはラストシーンで抱き合う役所広司菊池凛子だ。彼らが何かを見つけ出せたのだとしたら、それは何故見つけ出せたのだろう? 映画の中でこの親娘に起きたのは、チエコが鬱積した不満から無謀な行動を繰り返し、最後に全裸でベランダにいたところを父親が見つけたという事だが…。この中に糸口があったのだろうか? それとも銃撃を切っ掛けとしてブラッド=ピットケイト=ブランシェットが理解し合えたとでも言うのだろうか?

神に達し、神を越える為に、人間は天に届く塔を建造しようと目論み、その挙げ句に神の怒りに触れ、塔は破壊され、人間は言葉を裂かれて散り散りになる。しかしこの映画では、バラバラの世界の中で、ひとびとはそれぞれの土地で、同じ言語を話す人間同士で隔てられていた。人と人を隔てるものは距離でもなく、言語でもなかったのだ。… それは<愛の不足>だった、のか?

ライフル銃で結ばれてはいるがそれぞれの物語に殆ど干渉はなく、同時進行形のオムニバス映画と言った方が正しい。そしてそれぞれの物語はひとびとの隔たりを提示し、明確な解決はない。それでもこの映画に微かな希望を感じるのは何故なんだろう? この映画に拍手したひとびとは、恐らく私と同じものを感じたのだ。同じものを感じた、ここに希望の本質があるのだろう。… 不思議な映画だ。

(評価:★4)

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