[コメント] 赤い文化住宅の初子(2007/日)
自らの境遇を恨むでもなく、状況に抗い挑むわけではない。未来を悲観することはあれ、明日を放棄することはない。そして、現実から逃避することの非現実性を直感する少女。今では、幼い子供ぐらいにしか使うことのなくなった「純真」を初子(東亜優)に見た。
「純真」すなわち、心にけがれがないこと。
「貧しい少女と、彼女の生きる支えとなる王子」という世俗的定番物語の本質は、実は、同情を感動とはき違えた涙や怒りの浪費のためや、貧困の告発などにあるのではなく、「純真」さという意識せざる心のありようが生む生存への意志の強さと美しさにあったはずだということを、あらためてタナダユキは思い出させてくれた。
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