[コメント] 赤い文化住宅の初子(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
日活青春ものを愛する自分としては、最初この映画世界に入ってゆくことがためらわれた。貧乏人にも手にできる救済の機会はこの映画にはない。人と人を結ぶ絆が巧妙にここからは抜き取られているからだ。
少女の母は細腕ひとつで兄と少女を育て上げ、すでに死亡している。兄は自分を抑えきれず荒れすさんだ生活を送り、世を呪う。学校の担任は「本業」のコールガールに血道を上げている。親切な小母さんは己の主宰する新興宗教の儲けだけを考えている。行方不明だった父は、実は町をうろついていたホームレスだった。…そして少女は中学生にして、電気代や水道代、生活費に心を砕き、高校に入学することすら許されず、『赤毛のアン』の世界を呪う。これは悪意ある断絶の世界にしか自分には写らなかった。
こんな暮らしをフィクションですら思い描き、楽しむことのできる社会はまともじゃない…自分はそう思ったものだった。スタッフたちは悔しいとは思わないのか。夢ひとつ、ひとりの少女に与えてやれないことに。夢見る力を示してやれないことに…。
だが、これも世の中なのだ。大人たちの作った社会は、当の大人たちすら救ってやることが出来ない。まして、非力な少女になぞ誰も振り向いてやれないのだ。
だが、同じく非力な王子は、少女に何かをしてやろうと足掻く。彼に出来ることはお城への招待ではない。たった一つの小さなキスだ。それが誓いのキスになりうるとは限らない。王子は大人になる前に、分相応なお姫様を娶ってしまわないとは限らない。だが、我々は何とかそこに希望を見い出したい。そうしなければ、希望なきこの映画の泥沼から、現実の浜辺に戻ってはこられない気がするからだ。
少女は少年から新たに手渡された『赤毛のアン』を、改めて自分の物語として読みうるだろうか。それは無理かもしれない、現実はこれからも過酷であろうし、ヒロインはたびたび打ちひしがれるだろう。しかし、パンドラの箱の中に残った「希望」というこの物語でただひとつのプラスの作為を信じることが、この少女に出来る、この大人のシステムを創り上げた他ならぬ我々に課せられた、贖罪行為であると思われるからだ。
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