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[コメント] 天然コケッコー(2007/日)

都会の子供たちが終始感じているであろう不自由な遠慮が潜んでいる訳ではなく、といって兄弟姉妹のように時に度を越えて相手に踏み込むような無遠慮な関係でもない。そよ(夏帆)たちの連帯と距離は、まるで夏休みや正月に集まった従兄妹同士のように見えた。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







従兄妹同士、すなわち親戚とは元をたどっていけば、何処かで何かがつながっているはずだとう感覚だろう。同じ風景を眺め、同じ空気を吸い、時間の長短や時代の背景に左右されない何かを共有しているという安心感が、この子供たちの間に終始流れているのだ。たとえば、大沢君(岡田将生)の態度に、どこかよそよそしさを感じていたそよ(夏帆)が、彼が自分が大好きなトマト作りの名人の爺ちゃんの孫だと知った瞬間、一気に心のわだかまりが氷解するように。

奇をてらうわけでもなく、何気なく切り取られた風景が心地良い。村の住人たちが共有している(そして、私も映画の中で共有した)安心感の源とは、この村の学校のたたずまいや山や海という風景なのだろう。だからこそ、大沢君(岡田将生)とは、ぎこちないキスしか交わせなかったそよ(夏帆)も、自分が6年間過ごした風景としての教室に愛情たっぷりの口づけを送ることができたのだ。

確かにこんな安心感に裏付けられた関係は、最早、都会(修学旅行でたっぷりと描かれた)どころか、本当は地方にも残っていないのかもしれない。でもそうは思いたくない。きっと忘れてしまっているだけなのだ。心の片隅に必ず残っているはずだと思いたい。そんな安心感が存在したことを、脚本の渡辺あや山下敦弘監督は今の私たちに思い出させてくれたのだから。

いささか露悪的ともとれる意地悪さが魅力の山下監督だが、一見今回はその傾向がなくなったように見える。でも決してそんなことはないのだ。友達のことを思い過ぎて逆の結果を招いてしまうそよちゃん(夏帆)、親切心と自意識が入り混じり空気が読めなくなる郵便局のシゲちゃん、何年も前のふられた恨みにこだわり続ける、そよちゃんのお父さん(佐藤浩市)。ちゃんと山下監督のコミュニケーション不全へのこだわりは、微笑ましく感じるほどのポジティブさとなって盛り込まれていた。後年、振り返ってみたときに山下監督が演出の幅を大きく広げた、エポック的作品と呼ばれるに違いない。

(評価:★4)

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