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[コメント] サイボーグでも大丈夫(2006/韓国)

パク・チャヌクの『アメリ』であり『どですかでん』。これこそボンクラ男子の夢。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
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なんと言っても銃撃シーンが大変素晴らしい。 指先からマシンガンを発射するなんて男の子にとって夢のような設定。 しかも人さし指がチュイーンって伸びて照準が現れ、屋上の人物を次々と射殺する様は最高に気持ちよかった。 さすがパク・チャヌク。女の子の行動目的も「復讐」(正確には奪還)だしね。

しかしこれは恋愛映画であることもまた事実。 テイストは『アメリ』に似ているが、『アメリ』よりはるかに血しぶきが飛ぶ。 『アメリ』と本作は共に“少女趣味的ファンタジー”ではあるのだが、両者に通じるのは少女マンガのそれではなく、むしろ筒井康隆のテイストに近い。これらの最重要ポイントは“毒”なのだ。たぶん世間はそう思わないだろうが。 (筒井康隆を連想したのは、「将軍の目覚める時」を思い出したからかもしれない)

恋愛映画であることがパク・チャヌクの新境地のように思われているようだが、主人公達の動機が「私怨」ではなく「他人のため」の犠牲的精神にあることの方が新境地であるように思う。正確には、前作『親切なクムジャさん』からそうした方向に向かっていたのかもしれない。

本作は、女の子のために、おばあちゃんのために、主人公達は行動し、最後の最後にそのベクトルが“自分(の幸せ)”にシフトする映画だと思う。 だから「自分の存在意義を見つける物語」と読み取ることができる。 ラストシーンは、サイボーグとしての存在意義を探しているうちに、人間としての存在意義を見出したように見える。「自分が誰かのために存在する幸せ」を男女間で描いたように見える。故に、結果として恋愛映画。

しかしこうした「他人のための行動」はしばしば「純粋さ」に置き換えられ、「純粋さ」を体現するのは「精神病」しか手法が無いというのは、黒澤『白痴』ドストエフスキーの昔から変わらないんだなあ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)りかちゅ[*] 林田乃丞[*] レディ・スターダスト[*] セント[*]

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