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[コメント] パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン)

感動的なのは、少女の空想とも、実在の地下世界ともつかぬ異界が、単に過酷な現実からの逃避先として描かれてはおらず、むしろ現実社会に於いては「子供」は免除されている闘いを、異界に於いては少女自らが主体となって行なっているところにある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







カメラが下方或いは右側に動く事で、現実世界と異界とが移行していく演出に於いて、この二つの間に挿み込まれる闇が、両者を断絶させつつも接触させている。そして異界は、現実世界と同じ実在性を明確に与えられてはいないものの、少女オフェリアの意識に於いては地続きとして描かれている。彼女が危うい所を免れた、手に目を持つ怪物の居る部屋へも、最初は壁に扉を開いて入り、逃げる際には天井に出口を開く、といったように、上下左右へのショットの移行がそのまま、二つの世界の間の移行となっている点は巧みだった。

母の膨らんだ腹に顔を押しあて、胎内の弟に物語を話して聞かせるオフェリア。この時にも、カメラは下降し、胎内が地下世界に擬えられている。オフェリアが最初に乗り越えた課題である、巨大な蛙退治のお陰で、地下の蛙に養分を吸い取られていた樹が、元気を取り戻す、といった形で、地下と地上の出来事は初めから因果関係を結んでいる。オフェリアがパンから受け取る「人間になりたかった植物」マンドラゴラも、根であり、つまり地下の存在。それをオフェリアは、母の安産を願ってそのベッドの「下」に置くのだ。

だが、そうした地下=異界という構図が固定されている訳ではなく、逆に、妖精の化身として描かれている羽虫が、門の上から下界を見下ろすショットや、屋敷の寝室でオフェリアが母と聞く、「怪しい話し声のよう」な風の音の、「異界」が現実世界を取り囲み内包するような構図など、映画全体に於いては夢と現が入れ子状にされている。

更に、異界へ通じる森には、オフェリアの義父である大尉が掃討しようとしている、レジスタンスが潜んでいる。オフェリアは、異界の使者であるパンから課された使命を果たす為に、義父のパーティに着ていく筈だったドレスを泥で汚し、義父が自分の分身のように執着する息子を、彼の許から奪い取る、といった形で、異界への逃避が結果的には、義父への小さなレジスタンスとなってもいる。

オフェリアが憧れる、お伽話の中の「痛みも死も無い世界」と、痛みや死に充ちた現実世界の過酷さの対照性。彼女は、母の為に、マンドラゴラには毎日自分の血を与えていたのに、異界の女王として迎えられる条件として、弟の血をパンから求められた時には、それを拒む。ここで僕が思い出すのは、大尉からの拷問に遭った吃りの男を安楽死させた医師の言葉、「何も考えずに言われた事に従うのは、心の無い人間だ」。この医師と同じ意味の抵抗を、オフェリアはパンに対して行なったのだと言える。だからこそ、その結果として大尉に撃たれる事になるのではないか。

義父に撃たれて倒れたオフェリアの血が地面に溜まり、そこに夜空の満月が映る。このショットでは、上(月)と下(異界への入り口)とが結びついている。そして、異界の宮殿に迎え入れられたオフェリアは、高所から自分を見下ろす「本当の両親」を見上げる。現実世界では、横たわるオフェリアを、メルセデスが涙を湛えた目で見下ろしている。物語の完結は、ショット内とショット間の構図という形に於いても完結させられているのだ。

大尉にしても、単なる無慈悲で冷酷な男として描かれているのではない。噂話として語られる、大尉の父親が、自らの死に際して時計を壊し、死の時刻を息子に残したという出来事の、「止まった時計=死」に抗うかのように、大尉は劇中、時を休みなく刻み続ける懐中時計を何度も見る。自らを苛む死や痛みを否定する為に、他者へも冷酷になった事が覗える。彼が、濡れ衣で連れて来られた父子を惨殺したり(息子は父を絶対的に信頼している様子で、必死に弁護しようとしている)、捕まえた吃りの男に語って聞かせる、長時間の拷問を経ると、親族のような信頼関係が築ける、という話、メルセデスに切り裂かれた口を自ら縫い付ける場面(=自身の痛みを一人で処理する)など、そのグロテスクな苦痛の描写は全て、作劇上の必然性を持ったものだ。

(評価:★3)

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