[コメント] ブレイブ ワン(2007/米=豪)
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ジョディ・フォスターはタイトルの冠に彼女の名前のみが掲げられても作品を引っ張れるレベルの女優だと思うが、演技の質、作品の質ともに、ひさびさに大御所の名に恥じない力を発揮してくれたのはうれしかった。
サスペンスとして終始緊迫感が漂い、その上で人間ドラマとしても見応えがある。衝撃的な出来事による死別悲嘆で許されざる過ちを犯す方向に進んでいくヒロインの感情を、ジョディ・フォスターは表情によってきっちり表現。“処刑人”となったときの鬼気迫る目線と、悲しみに暮れた際のくたびれた感じ。このふたつの使い分けが些細だけれども上手。
加えて、ニール・ジョーダンの演出がものすごく的確だったことも大きい。冒頭での暴行場面を見た際は必要以上に過激で驚いたが、極端なまでの悲惨さを最初で演出できたからこそ、ヒロインの許されざる行動にも共感、そこまで行かなくても理解はできる結果になった。『フライトプラン』ではジョディ・フォスターを“ヒステリックな母親”と感じてしまって味方できなかったことが痛かったのだが、今作も一歩間違えると、“単なる殺人鬼”と認識されてしまうところからうまく逃れた。そこは、演技どうこうよりも見せ方の意識ひとつなのだ。
さらにその上で、テレンス・ハワードがサポートする形でいい演技をしている。彼が演じた刑事はとにかく抑えた演技が必要とされる役だと思う。仮に主演級俳優を置いて、ヒロインとの対決姿勢を強めてしまうと視点が定まらなくなりそうだ。しっかり存在感は残すけれども、決してジョディ・フォスターを凌駕しない位置できっちり役割をこなせる俳優として、テレンス・ハワードは適役すぎるほどだった。これがもしデンゼル・ワシントンだったりすると、全然違う様相へと変わってしまうのだ。
日本でいうとマンガも映画もヒットした『デスノート』に近いテーマは、誰もが興味深いと感じるところをついている。そういった問題提起を含みながらも、人間をしっかり描くことでドラマとして見応えある作品になったので非常に良かったのだが、ラストシーンだけはどうしても理解に苦しむ。
「合法的な銃」だから悪人を殺しても良い、という判断には驚きを越えて唖然としてしまった。「合法的な銃」という刑事の発言は、ヒロインを最終的に殺害するためにある発言だと思っていたから。処刑人ではないかと疑いながらも、人間として信頼していた相手を殺すことには、たとえそれが“正義”だったとしても迷いが生じる。だが、それでも刑事としての“正義”を信じて職務を全うすることこそ、“勇敢”な行動だったと思う。そして、そのラストシーンであれば、そこでテレンス・ハワードが見せるであろう表情を想像しただけでも、哀しみが漂う味のあるエンディングになったとも思うからなお残念なのだ。
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