[コメント] アイ・アム・レジェンド(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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言葉の通じない愛犬やマネキンに話しかけて孤独を紛らわせる主人公。だが、実はその孤独にいつしか馴染み、他人というものを受け入れる余地が無くなっていたような印象を受けた。いつもビデオショップに置いてあるマネキンが勝手に道に置かれているのを目の当たりにした時、彼があれほど取り乱していたのは、生きている筈のないマネキンが動いている、という不条理に恐怖したせいなのだろうが、あの‘いつもの場所’で紡ぎ続けていた‘物語’が崩された事、言うなればお人形遊びが中断された事への拒否反応にも見えて仕方がない。
その罠のせいで愛犬を失う事になった絶望感から、無謀な復讐を試みた彼は、危うくナイトシーカーたちに殺されそうに。それを救ってくれた母子(生存者がいた!)に対して、人に逢えた喜びを表すでもなく、愛犬がいない喪失感だけが頭の中を占めているような様子を見せる。母親の「生存者たちの村がある」という言葉には「皆、死んだんだよ!」とブチ切れ、彼女が料理したベーコンの皿を手で払い落とし、「とっておきのベーコンだったんだ、とっておきの…」(愛犬に食わせてやりたかったのか)、「独りにしてくれ」とその場を去る。
妻子を亡くした彼は、家族で暮らしていた家に篭城する事に固執し、そこから生活の場を移すなど論外であるようだ。彼は、追憶と使命感だけに生きるナルシシズムに囚われた男なのではないか?彼がラジオ放送を通して繰り返していた、いるのかどうかも分からない生存者への呼びかけの言葉は、次第に彼自身への励ましの言葉でしかないように聞こえてくるのだが、このオナニズム的状態を、結構、悠々自適に愉しんでいたのではないか?彼が街中でカーチェイス風に行なう鹿狩りや、軍用機の翼に乗ってのゴルフなどは、その絵面のシュールさで観客を愉しませるのみならず、彼自身の生活のゆとりをも感じさせる。彼の姿に孤立感や哀しみの影が大して覗えないのは、そのせいではないか。
主人公は、自分がラジオ放送で呼んだ筈の生存者が実際に眼前に現れると、自分の世界を破壊する異分子のように扱う。その母子の内、息子の方が観ている『シュレック』の台詞を暗記している主人公は、画面のキャラクターに合わせて台詞を言うが、恐らく、この『シュレック』を繰り返し繰り返し観て暮らしていたのだろう。娘が好きだった映画なのかも知れない。この場面は、彼が母子に心を開き始めた事を表しているのだろうが、と同時に、彼にとっては‘繰り返し’こそが心安らぐ状態なのだという事をも覗わせる。
彼が妻子を失っている事は、断片的に表れる回想シーンで、後から分かる事実なのだが、それまでは街の外の安全な所で彼の帰りを待っているかに思わせる。これが違うのだという事が途中で明らかになる事で、彼がより深い絶望を経ている事、そして、そのせいで娘が彼に渡した愛犬への思いの強さ、‘世界を救う’という救世主的な使命感に憑かれている理由が理解できる。彼にはこの二つの対象への思いしか残されていない訳だ。一方は、自分の傍にいて、温もりを与えてくれる者、もう一方は、姿の見えぬ他者へ向かう観念。人体実験でワクチンの効果が得られなかった事と、愛犬の死。この時点で一旦、彼の世界は終わっているのだ。だからこその、自暴自棄な復讐戦。
人体実験用のナイトシーカーを罠にかけて捕獲した際、或るナイトシーカーが、弱点である光の下に顔を出した行動について、主人公は「知性を失っている。もはや人間ではない」と断定する。だがあれは、女のナイトシーカーが奪われたのを、男のナイトシーカーが追ってきた、思い余っての行動だったのではないか。単に、仲間を奪われたから追ってきた、でもいいが、兎に角、人間的な行動だったという解釈は可能だろう。それを「人間以下」と断ずる主人公。
最後には、効かないと思われたワクチンが、実験体を氷で冷却する事で効果を示したのが、絶体絶命の土壇場で明らかになる(感染した愛犬にはこの方法を試したのだろうか?愛犬の死の際、主人公は安楽死のつもりなのか、首を絞めるか何かしていたようにも見えるが、或いは死に際に悶える愛犬を抑えていただけなのか、判然としない)。この、回復しつつある女性ナイトシーカーの、清められたような静謐な顔が印象的。この奇蹟のように示された希望を目の当たりにした主人公は、突然人間性に目覚めたのか、ガラスのドアを破って襲いかかろうとするナイトシーカーたちに「君たちを救いたいんだ」と訴える。犬を殺された哀しみに駆られて容赦なく彼らを虐殺していた主人公の、急な改心。ここは泣き所なのかも知れないが、描写が甘いせいで、感情移入できない。結局、彼は血清を母子に託し、ナイトシーカーたちを巻き込んで爆死、救い主として“伝説”になる。だが、わざわざ考えるまでもなく、彼があの無謀な復讐など試みなければこんな危機にもならなかったのであって、ナルシシズムからマッチポンプに移行しただけだろう。せっかく人間に戻りかけている筈の女性ナイトシーカーさえ、躊躇なく自爆の巻き添えにするんだから、あんまり人間性が回復していないようにも思えてしまう。母子を匿った場所に、この二人しか入るスペースが無い事を明確に描くとか何かしてくれないと。
生存者の女性が口にしていた「神の計画」の話は何だかしつこい宗教の勧誘みたいだし、主人公も単純にそれに引っかかって‘殉教’するという、どうにも浅薄な話。目の前に何らかの希望がちらついて見えるかどうかで急に信じる方向へ行く、つまりは状況に左右される信心なんて、神を云々するには余りに形而下的。終盤に至るまでは、廃墟の街を見せる画面作りや、愛犬との交流など、シンプルだが細部がしっかり描かれた、見応えのある作品であっただけに、最終的には凡庸で説教臭いゾンビ映画として幕を閉じたのが、余りに残念。良い素材であるのに、詰めが甘い。ラストだけでも何とかしてくれていたら、理屈からいっておかしいツッコミどころは、まぁ作劇上の要請としての飛躍、として大目に見てあげなくもないんですが・・・・・・。
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