コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 接吻 Seppun(2006/日)

「君がどこまで堕ちるのか心配だ」。心情を語ることを放棄した男との共闘を決意した女には、この常人の代表者たる弁護士の言葉に、常識という名のおごり以外何も見い出せなかっただろう。京子の愛は、愛ではない。少なくとも、決して男に対する恋愛などではない。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







京子(小池栄子)の愛が純粋愛に見えたとしたら、それは彼女が坂口(豊川悦司)への同化を試みたからだ。一人の対象に対して、あるいはその対象の思いに対して、一体となって共闘する行為。それは、テロリストが、信じるものと、それを信じる我が身に抱く自己愛だ。京子は、「いっしょに闘いましょう」と坂口を誘う。そして、「これで敵がはっきり分かってすっきりした」と弁護士長谷川に宣言する。

内向的テロリストたる京子の敵とは、何だったのだろうか。彼女は、いったい誰と闘おうとしていたのだろうか。本当は、彼女にも分からなかったのだろう。闘うこと自体が目的化するのがテロリストであり、京子にとって坂口の改心は、敵を前にして同志を裏切り転向をはかる日和見主義以外の何ものでもなかったはずだ。京子が坂口に対してとった行動は、当然の帰結だったのだ。

坂口に対する京子の愛が究極の自己愛だったとしたら、もし、一家惨殺事件の犯人が女だったとしても京子は、その凶行者を同志として、その女との同化を試みただろう。しかし、坂口の心の氷解の兆しの要因が、京子への恋愛の発露だったように、京子の「接吻」の意味だけは彼女の心に僅かに残っていた恋愛の発露だったと信じたい。次は、京子の解放がなされる番なのだ。だからこそ、長谷川(仲村トオル)は、瞬時に京子の弁護を宣言したのだ。

大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷犯・宅間守を思い出す。宅間もまた弁護団の控訴要求を自ら取り下げ、自分の思い通り死刑を勝ち取りこの世を去っていった。一審の死刑判決後、宅間も複数の女性から求婚を受けている。獄中結婚した相手は、死刑反対運動の活動家だと聞いている。しかし、複数の女性の中にはきっと、現実の世界を生きる「京子」もいただろう。そして、彼や彼女たちは今も自らの心情を語ることを、自ら頑なに拒みながら私たちの周りに身を潜めているのかもしれない。

「女囚さそりシリーズ」の松島ナミや、「天使のはらわたシリーズ」の土屋名美と村木。そんな激しすぎる愛の映画が私の頭をよぎった。万田邦敏の世代なら、まんざら見当はずれではないような気もした。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)pori [*] NAO[*] セント[*] おーい粗茶[*] ペペロンチーノ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。